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一般社団法人 ディレクトフォース

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 2019/12/01(No.306)

「少林寺拳法の日中交流 出逢い 繋がり」

 

米田 敬智

筆者

1.2019少林寺拳法 大学生・高校生拳士訪中団

はじめに

2019年8月24~30日にかけて、「2019 少林寺拳法大学生・高校生拳士訪中団」に参加してまいりました。私としてはこの6年間で5回目の訪中になります。

今回も中国側の招きで全国から大学生・高校生拳士97名が集まり、川島一浩団長(少林寺拳法連盟会長)、宗由貴顧問(少林寺拳法グループ代表)をはじめとする引率の下、総勢112名による北京→登封とうほう鄭州ていしゅう→北京を巡る日中交流の旅です。100名を超すミッションはグループとしても十数年ぶりかそれ以上のこと。

ツアーの内容については毎年毎年工夫豊かにアレンジがなされており、今年の特徴は、 嵩山 すうざん 少林寺方丈(住職)の就任20周年祝賀に加え、新規プロジェクトとして4大IT企業集団の1つ「 京東集団 JDどっとこむ 」の企業訪問と、東洋医学の権威「河南中医薬大学」との交流です。

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北京市

旅程は24日に結団式、25日に北京入り。往きのフライトでは、少林寺拳法拳士の機長・副機長2名、CA1名が乗り合わせてくれ、スタートから大いに盛り上がりました。到着早々、前中国駐日大使の程永華氏がわざわざ講演に出向いていただき、9年間の大使在任を振り返っての含蓄に富んだ話を伺うことができました。

企業訪問した「京東集団(Jing Dong Group=JD.com)」は、AIを駆使したネット通販を主業とし、中国4大ネット企業「BATJ」(Baidu=百度、Alibaba=阿里巴巴、Tencent=騰訊、JD.com=京東)の一角に名を連ねています。見学した無人搬送や無人スーパー、ドローン配送や国内即日配送など、徹底したIT化に度肝を抜かれましたが、未来志向の学生諸君には大きな刺激になったと思われます。同時にこの分野で日本が周回遅れになっている状況も際立ってきており、深刻な問題とも感じています。

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その他、万里の長城雑技鑑賞、中日友好協会の歓迎レセプションを経て、河南省・登封へ。

登封市

嵩山少林寺では、今年も釋永信方丈が山門まで出迎えて下さり、直々の案内で、山門、宗道臣開祖帰山記念碑、鼓楼に続き、白衣殿、千佛殿などを拝観。方丈室で釋永信方丈就任20周年の祝賀を済ませた後は、方丈室の前のオープンスペースで黒山のような人だかりの中、武僧の表演を催していただきました。石畳の厳しさをおくびにも感じさせない熱演に学生達は大興奮。嵩山少林寺との親近感は年々深まりを覚え、嬉しい限りです。

このあと墓地公園の塔林に移動して、嵩山少林寺とわが少林寺拳法グループとの交流40周年を記念して6月に植樹したソメイヨシノに水遣りしましたが、将来これが更なる友好の証しとして、桜並木になっていくことを願っています。

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前夜は「禅宗少林音楽大典」を鑑賞、皆そのスケールの大きさに圧倒されました。

また登封では中岳廟を観光しましたが、ここは五岳の中岳である嵩山に在る、河南省最大規模の道観で、「小故宮」とも称されています。武帝の祭祀も執り行われたという由緒ある土地柄で、南北11の建造物群に加え、樹齢千年以上の大木に囲まれ、森厳な雰囲気でした。

鄭州市

鄭州に移って、今回河南中医薬大学を初めて訪れましたが、ここは東洋医学、漢方薬の粋を集めた中医薬の総合大学・大学院(含、研究センター、附属病院)で、少林寺拳法グループとしても「禅武医」の観点から大変関心のある分野です。

「医史館」という建物では、なんと夏商周時代にすでに、疾病・保健・治療の詳細が甲骨文に記されているのを目の当たりにして、歴史と伝統を痛感させられました。また嵩山少林寺の「易筋経」も登場し、そこには健康増進・肉体演練のやり方が図解されており、まさに我が意を得たりの心境です。もちろん薬草は桁違いの膨大な種類が保管・展示されており、これにもいやというほど唸らされました。このほか、太極拳や按摩など実技も多様で、なかなか興味は尽きません。

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鄭州大学・鄭州中学との交流は、年々盛り上がってくる演武交流に次いで、宗道臣文庫を見学。これは少林寺拳法グループから寄贈した3万冊余の日本語図書を基に設置・命名された図書室で、交流の原点・象徴ともいうべきところです。そのあと大学生・高校生と二手に分かれてのテーマごとのディスカッションは、相互に打ち解けるのも早く、密度の濃い交流となりました。今年は河南省外事弁公室の主任や鄭州大学の党書記も初めて式典に加わるなど、中国側の注目度も一段高くなってきたようです。

おわりに

北京に戻ってお別れ会。今年も大盛り上がりで、交流の喜びと感動の余韻を全員で分かち合いました。学生たちも不慣れな旅の中、規律正しく且つ積極的に活動してくれ、中日友好協会はじめ中国側の人たちも毎年のようにその姿を見て、我々に対し更に配慮を尽くしていただく様子が窺え、それが訪中団活動の良い循環・伝統となっていることを有難く思っています。

参加学生には、こうして得た貴重な体験を土台に、旅を通じて変化し始めた自分たちの行動や考えが一過性で終わることのないよう、しっかり次につなげていってくれることを期待したいと思います。この点、参加した多くの学生から、ありのままに見た中国を、そして中国の青年と交流した楽しさを、帰国して多くの人に伝えたいとの感想が数多く寄せられており、いささか心強い限りです。ぜひ若い感性と活力を生かして、いずれ新しい時代の日中両国の架け橋を目指していってくれることを願っています。

日中には政治外交をはじめいろいろ問題を抱えていますが、だからこそ民間の、個人個人の交流は隣人同士として大事にしていきたいと思っています。それこそが少林寺拳法の「日中の友好なくしてアジアの平和はなく、アジアの平和なくして世界の平和はない」の理念だからです。


2.出逢い、繋がり

釋永信師(嵩山少林寺方丈)

少林寺拳法訪中団を通じて多くの中国の方との知己を得ましたが、その一人に嵩山少林寺の釋永信方丈がおられます。あの嵩山少林寺の頂点に立つ方で、建国前の戦火で荒れ果てたままだった嵩山少林寺をここまで世界に冠たる大寺院に再興発展させた立役者です。

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最初の出逢いは2014年、東京大学拳生会(少林寺拳法部OB会)訪中団でお目にかかったときです。それまでは、嵩山少林寺を見事に再建した実力者・剛腕事業家といった、ちょっと近寄り難いようなイメージでしたが、しかし案に相違して山門までお出迎えいただき、境内を1つ1つ丁寧にご案内下さった後、方丈室で丁重に受け入れていただきました。そのとき我々が東大OBと知り、東大等に遺されているという嵩山少林寺の建築群の写真・資料の調査を頼まれたのです。少林寺の寺院の多くがかつて軍閥の放火等により焼失、しかしその写真資料が中国にはほとんど残っていなかったわけです。さて問題は1世紀近くも昔の話、雲を掴むような心許なさで帰国の後、まる1年かけて東大の東洋文化研究所や工学系建築学科、また東京国立博物館、はては遠く山形・鶴岡にまで足を運び、翌年なんとかそのカタログと写真の一部をお届けできました。方丈にはとても喜んでいただき、あの少年のような目の輝きを見たとき、1年間の労が報われた想いと同時に、永信師との距離が一気に縮まった気がしました。

その後も訪問の都度、お心配りいただき、或る年は嵩山少林寺の僧と同じ精進料理にお招きいただいたり、或る年は彼の著書と少林寺の数珠を頂戴したり、今年は少林寺拳法グループと嵩山少林寺との交流40周年の記念式典や植樹祭を行なったりと、この5~6年で親しみが一段と増してきているようで、嬉しい限りです。日本にも、昨年は我が少林寺拳法創立70周年記念式典に祝賀にお越しいただくなど、来日された折には必ずご連絡いただき親密な交流が続いています。

勿論これは宗由貴代表のリーダーシップの下、少林寺拳法グループという組織の40年に亘る弛まぬ交流活動の賜物であることは言うまでもありません。国交回復後から嵩山少林寺との交流を始め、その歴史的建造物や文化的価値の高い壁画の修復等に対し、日本の少林寺拳法グループとしてのさまざまな協力支援や、かの映画「少林寺」への強力なサポートなども含め、多様な積み重ねの歴史があってのことで、それが常日頃の釋永信方丈の「嵩山少林寺が今日あるは、日本の少林寺拳法グループのおかげ…」という言葉に繋がっています。最初に井戸を掘った友人を末永く大事にする中国の方らしい、歴史観に根差したブレない姿勢には、深く敬服と感謝の念を覚えます。こうした歴史の1コマにたまたま私自身が身を置く機会があり、素晴らしい出逢いに巡り合えたことは、個人としてまことに身に余る光栄であり幸運というほかありません。これからも日中交流の一環としてこのお付き合いを末永く続けて行きたいと思っています。

§ § §

シュリークリシュナ・クルカルニさん(マハトマ・ガンジー曽孫)

少林寺拳法を通じた出逢いについてもう1つ。それはインド独立運動の父マハトマ・ガンジーの曽孫である、シュリークリシュナ・クルカルニさん(通称クリシュさん、現在インド国立経営大学院コルカタ校理事長)との出逢いです。

2015年に東大インド哲学の蓑輪顕量教授(東大少林寺拳法部部長)ほかでインド仏跡参拝に訪印した折、旅の終わりにインド赤門会(東大卒業生の会)の総会行事に参加し、その初代会長のクリシュさんにお目にかかりました。意気投合して話が弾んでいくうち、彼は東大に修士留学の折、少林寺拳法を学んだことが分かりました。1級まで取ったのですが、初段の試験が修士の試験とぶつかり、やむなく断念、今でも心残りと語っていました。

彼はその頃、インド南北縦断7千キロ、1年半の行脚の旅 “Walk of Hope” の真最中。それを一時中断して会に参加してくれていたのでした。それは彼の自分を見つめるための旅であり、またどうやってインドの国民が1つにつながることが出来るかの探究の旅でもあったようで、曾祖父マハトマ・ガンジーの「塩の行進」を彷彿させるような行脚だったように思われます。

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彼の気持ちが強く印象に残り、帰国後東大拳生会(少林寺拳法部OB会)会員に推挙するとともに、2年後2度目のインド仏跡参拝の折、私ひとり団から離れ、彼の住むバンガロールに飛び、彼と再会。お土産に「クリシュ」名入りの黒帯をプレゼントし、彼を驚かせ、喜んでもらいました。バンガロール滞在はたった十数時間の短いものでしたが、よく語り合い、何か “繋がっているような感覚” を覚えました。その後、来日の折、昔の稽古場である東大七徳堂を案内したり、或る時は新宿のカフェで寸時の再会を楽しんだり…。

そして今年10月、東大のホームカミングデイの「ガンジー生誕150周年記念式典」に彼がゲスト講師として招聘された際、我が東大拳生会としてその前夜、学士会館で歓迎会を持つことができました。入会して4年目にしてようやく晴れて彼を正式に迎え入れ、旧交を温めることが出来たわけです。そこで彼が語りかけてくれたスピーチは、これまた素晴らしいものでした。いわく「暴力というのは肉体的なことばかりを言うのではありません。精神的なものも経済的なものも、自分が必要とする以上のものを得たり求めたりすることも暴力なのです」、いわく「誰にも怖いものがありますが、その怖さを克服しないと事は成し遂げられません。それには無私である必要があります。無私の人は事を成就しても何かを求めるということはありません」等々。ヒンズーから生れ出た釈尊の教えというか、マハトマ・ガンジーの血というか、深く含蓄のある話に、俗人としての我が身の生き様を省みてジーンと響くものがあり、また何故に彼が、「自己確立」と「自他共楽」を2大理念とする少林寺拳法に惹かれたか、改めてよく分かった気がします。それにしても会員千人を超す大OB会の中でも、インドの知性のような彼の人となり、思想の深さと透明感は光彩を放っています。彼と接していると、何故かインドが身近に、懐かしくすら感じられ、縁とは有難い不思議なものとの想いを新たにします。

§ § §

中川毅さん(世界的地質学者・古気候学者)

これは少林寺拳法を通してとか国際交流の出逢いではないのですが、私の人生にとって今年どうしても触れたい、永年来の友人との出逢い、繋がりの話です。その人は中川毅さん。福井県水月湖の年縞ねんこう堆積物の完全無欠な採取・分析により地質学的年代を決定する世界標準を確立した世界的な地質学者であり、古気候学者です。

彼とは1984年シルクロードの旅で知り合ってかれこれ35年になります。そのとき彼はまだ高校1年生。祖父の神田隆さん(映画俳優=大学の先輩)に高校入学祝に連れて来てもらっていたのですが、神田さんの亡くなられた後は接触する機会もありませんでした。それが、彼が京大在学中のとき、住所だけを頼りにタイ駐在中の私たち夫婦のマンションを突如訪ねて来てくれたのです。私の留守中で初対面の家内が応対し、持ち前の自然体で身内に対するような心根で接したのか、当時学生の彼にはそれが深く印象に残ったようです。その夜私も合流して心ばかりの食事をもてなしたのが2度目の出逢いでした。

その後、彼は本格的に考古学の道を歩み、私とは住む世界や年代が異なったこともあり通信は専らメールと手紙。しかし縁とは不思議なもので、2度しか会っていない(家内に至っては1度だけ)のに、シルクロードやタイでの一幕、一幕が鮮やかな映像として脳裡に印象深く刻まれ、遠く離れている間も1本1本のメールや手紙をまるで命綱のように大事につなぎ、お互いの近況やときどきの想いを一所懸命に伝え合い、いつのまにか、何だか常に傍にいるような、又まるで身内の安否を気遣うような感覚が相互に芽生えていたような気がします(←これは私の勝手な思い込みも多分にあるかと思いますが)。

彼はフランスの大学院に進んだあと、考古学、古気候学の研究で超多忙の日々を過ごし、イギリスのニューカッスル大学の教授として活躍していました。中でも、冒頭の福井県水月湖の年縞堆積物の完璧な採取と精緻な分析を、気の遠くなるような根気と努力で行って来ていたのですが、その血の滲む苦労が実り、遂に2012年、パリの「国際放射線炭素会議」で水月湖の年縞を世界標準にするという歴史的決定が下され、続いて科学雑誌「サイエンス」がわざわざ日本で異例の記者会見を開くに至りました。

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そうして彼がイギリスでの研究に一区切りつけ、立命館大学が彼のために用意した新設の古気候学研究センター長として日本に凱旋帰国してきたのが、2014年。私たち夫婦は、TVやネット、文献などで彼の研究成果を目の当たりにするにつけ、彼の仕事が一区切りついたら1日も早く会ってその晴れ姿を見たい、との思いが募ってきました。待望の年縞博物館が完成したのが2018年、漸く機は熟し、今年の5月念願の水月湖訪問の機会が訪れました。彼は超多忙の身ながら2日間も私たち夫婦を迎え入れてくれ、旧交を温め積もる話を交わしつつ、惜しみなく丁寧に専門的な話を繰り返してくれました。

立派になった彼を、私たちは相変わらず勝手に息子の成長した姿を見るような気持ちで接し、逆に彼も同じように(とこちらが思い込んでいる面もあるでしょうが)、私たち夫婦に、まるで年老いた親に漸く報告できるようになりました、とばかりに温かく優しく接してくれ、まさに至福の時間を過ごしました(これも神田さんのお引き合わせでしょうか)。7万年の年縞を展示した圧巻の博物館と、静かにその歴史を語りかけてくる水月湖を前に、ここにはたしかな科学の空間と、たしかな人間の営みがあると頷かされました。

中川さんとは物理的には35年でわずか数回の出逢いにも拘らず、何か運命に引き寄せられたような親しみを覚える、不思議な出逢い、繋がりというのがあるものだと、大事な宝をいとおしむようにつくづく感じております。水月湖の知名度向上は勿論、それをベースに古気候学研究の分野で更なる発展を祈りつつ、筆を置かせていただきます。エンドマーク


前回のメンバーズ・エッセーNo.259 ( 2017/12/16)ならびに

前々回のメンバーズ・エッセーNo.209 ( 2015/11/15 ) もご参照ください

よねだたかとも ディレクトフォース会員(952)
少林寺拳法グループ日中交流プロジェクト委員会委員長
東京大学拳生会(少林寺拳法部OB・OG会)顧問 森永乳業株式会社社外取締役

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