ChatGPTに関する考察

メンバーズ・エッセイ
撮影:神永 剛

2024年11月1日 (No. 424)
池上 眞平
池上 眞平

「“全ての技術は両刃の剣である”を踏まえた技術に対する Critical Thinking が必須である」が私の信念なので、ChatGPTが市場導入された際の“日本のAI専門家/学識者/メディアによるこれに対する絶賛”に私は、驚愕した。

雑誌TIMEの記事の Key Message に照らすと、日本の見識者たちの見解は Uncritical Thinking に基づくと言わざるを得ない(Ref: "AI Arms Race is Changing Everything", TIME Feb. 27/Mar. 6 2023 & Survival of the Fittest Time, TIME Jun. 12 2023)。複数の生成AIがあるが、ここでは "Book Surfing" と“代表的な生成AIであるChatGPTの試用経験”を踏まえた考察を行う。

以前に実施したAIに関する Book Surfing I の前に私なりの簡単な仮説Iを構築したが、Book Surfing I 後にこの仮説の変更は不要と判断した。下記は、その仮説の一部である。(Ref: メンバーズエッセイ No.419 )

人間の脳:

人間の脳
  • 脳は、感情/知性/スピリチュアルの領域を持っている。
  • 脳は、少量の情報をベースに考察&判断する。

AI:

AI
  • AIは、知識と知恵の一部の領域をカバーする。
  • AIは、大量の情報をベースに考察&判断する。

そこで、"Book Surfing II" と “ChatGPTとの質疑応答を踏まえたChatGPTに関する考察”を試みる前に、生成AIの限界に関するラフな仮説IIを構築した。

下記は、私の仮説IIの一部である。

  • 「人間のマインドは“神秘のベール”に包まれている」ので、アルゴリズムのみによる人間のマインドの生態模倣は、不可能である。
  • 「五感から主体的に獲得する情報に基づく“一見は百験に如かず”の実践可能」が、人間の特徴の一つである。言い換えると、“入力された文章/図/写真のみに依存するChatGPT”は、人間と同等の体験が出来ない。

Book Surfing II で出会った15人の様々な専門分野の著書から“人間を含む動植物の極めて複雑かつ精緻なシステム”を再認識した。私は、自己組織化論/量子生物学/分子生物学/量子力学/化学/数学/物理学/精神科医学/心理学/哲学 etc. を駆使した幅広い観点からの考察に驚いた。

マインド:

Book Surfing I & II で出会った著書から得た下記の情報は、私の仮説「人間のマインドは“神秘のベール”に包まれている」を支持するのかなと思う。
下記は、私の見解の要旨:

  • マインド生成のメカニズムは、未踏の領域である。
    「マインド生成メカニズムの解明には、科学と哲学の融合する学問分野の更なる発展が、必要である」
    (注1:私は、このような本格的な挑戦に関する情報に未だに出会ってない。)
    (注2:“生成メカニズム不明のマインドの生態模倣へのAIによる挑戦”は、少なくとも現時点では無謀!)
  • 「五感を通して得た情報が、人間の体内の複雑な酵素反応のトリガーとなり、これがマインドの作動に繋がる」との学説を無視出来ない。
    マインド
    • “成功体験”や“失敗/挫折からの立ち直りへの挑戦”により発生するドーパミンがもたらす快感に基づく自己肯定感強化
      (注:麻薬中毒とスマホ中毒の発症原因と同一。)
    • “アドレナリンの生成”による火事場の馬鹿力発揮
      (注:“酵素の極めて優れた触媒機能の詳細なメカニズム”は、未解明である。)
  • 「人間の個性/人間の強みの多様化にマインドが係わっている」は、私の仮説だ。「“このメカニズム”に関する著書に未だ出会ってないので、未踏の領域かな」と私は思う。
    (注:人類の進化/社会の発展には“多様な人達の協働がもたらすシナジー効果”が、必須。)

(Ref:物理学から脳科学に転身した茂木健一郎の『クオリアと人工意識』、量子力学の元祖の一人である E. シュレディンガーの『生命とは何か』&『精神と物質』、コンピューター科学の限界を見極めるために、心理学を学んだ D. Gelernter の『The Tides of Mind』

マインドに関する研究にはIT分野の専門家達と多様な分野の専門家達の協働必須だが、私は未だ本格的な協働の事例に未だ遭遇していない。

「“脇目防止のためのブリンカーを装着して疾走する競走馬”と“IT分野の多くの専門家達”は重なる」が、小生の率直な印象である。

百見は一験に如かず:

百見は一験に如かず

私は、子供の頃から“百聞は一見に如かず”を耳にタコが出来るほど聞いて来た。しかし、卒論@大学への挑戦により、私は「実体験からの学び/気付きの価値は、極めて高い」実感したので、私の造語“百見は一験に如かず”を大切にしている。

ちなみに「“百見は一験に如かず”を出前授業の際に生徒達と共有する」よう私は努めている。

百見は一験に如かず

「本能的に舐める/触る/投げることによる乳児の学び/気付き」は、正に“百見は一験に如かず”の実践かな」と私は思う。また「“百見は一験に如かず”の実践が、多様な個性の醸成の必須条件の1つかな」が、私は直感である。ちなみに、「子犬ですら、色々な物を噛みボロボロにすることにより“百見は一験に如かず”を実践しているのかな」と私は感じる。

「ChatGPTが、“百見は一験に如かず”を実践出来る見込みがある」との予測に私は、未だ出会ってない。

「汎用生成AIが、人間を超える」と予測するAIの専門家達がいるが、「汎用生成AIが、“百見は一験に如かず”の実践可能」を根拠にした上記の予測に私は、未だ出会ってない。ちなみに、「AIが、人間の一部の能力を超えている」との見解に対して私は賛同する。

Meeting of Minds (意思の合致):

「“文章/図/写真 etc. の解釈は、人により異なる”のを経験した事がない人は皆無だ」が、今までの私の人生経験を踏まえた見解だ。

「体験/専門知識/直観力/個性 etc. の違いが、解釈の多様性に繋がる」が、私の仮説である。「これは、“進歩の素”であると同時に“揉め事の素”である」と私は推察する。ちなみに、「各社間の利害関係が絡む共同研究開発契約書作成時に研究者として "Meeting of Minds" の可能な限りの改善に必死の努力をした」のを思い出す。

「“百見は一験に如かず”を実践出来ないChatGPT/人間の間の "Meeting of Minds" は、“人間同士のそれ”より極めて難しい」が、私の結論である。(注:AI研究@日本の先駆者の1人である長尾真の著書『人工知能と人間』において人間同士の "Meeting Of Minds" の難しさが、論じられている。当然、「人間/AI間の "Meeting Of Minds" 実現の難度は極めて高い」が、彼の見解である。)

ちなみに木村草太(憲法学者)/佐藤優(元外交官)/山川宏(AI研究者)共著『AI時代の憲法論“人工知能に人権はあるか”』を読み、“彼らの話が噛み合ってない”&“彼らがそれに気付いてない”のが気になった。これにより「異分野の専門家間の "Meeting of Minds" が、極めて高難度である」を再認識した。

情報入力&情報管理:

「ChatGPTのスタッフが、情報入力&情報管理を担当している」/「6カ月前の情報が、ChatGPT内の最新情報である」が、ChatGPTから得た情報である。左記は、「“ChatGPTが、間違った回答/不適切な回答をする”のは当然である」を示唆する。また「“ChatGPTが主体的に情報の質/真偽を評価出来ない限り、ChatGPTによる主体的な情報獲得&情報管理”は、不可能かな」と私は思う。ちなみに「睡眠中の人間の脳は、情報の取捨選択/編集を行っている」との学説がある。(Ref: Gelernterの『The Tides of Mind』)

我々の心掛け:

我々の心掛け

「“AIの強み/弱み、人間の脳の強み/弱みを明確にし、AIの強みで人間の弱みを補う”との目的の共有」が、IT業界において未だにしっかりと共有されておらず、「AIが人間を超える日が到来する」との曖昧な言葉が横行している。「なぜ、IT業界が、“クローン人間の開発禁止を決定した医学分野”を見習わない?」が、私の素朴な疑問である。

「このような現実を踏まえると、我々が自己防衛に努めるしかない」と私は考える。「自己防衛の最大の武器は、批判的思考力の醸成/“百見は一験に如かず”の実践/ Book Surfing の実践/“想いや考えの文章化の実践”かな」と私は考える。「ChatGPTの使用禁止ではなくこれの適切な利用が妥当である」との私の考えを踏まえてChatGPTに関する探究学習を数カ月前に担当した。ちなみに「“出前授業で出会った生徒たちの反応”から、彼らは新たな学び/気付きを得て呉れたのかな」と私は感じた。更に、この探究学習を担当した国語の先生のコメント「“国語の教師にのみに挑戦できるChatGPTの弊害対策に繋がる教育課題”に気付いた」を聞き、良かったと思った。

以上

いけのうえ しんぺい(859)
(授業支援の会)
(元 富士フイルム)