2007年12月にDFの絹巻さんや松村さんと親しかった会社の先輩の薦めで現役引退を機にDFに入会した。入会面接でスキューバ同好会の有ることを知り長年の夢だったので即入会した。アカデミー部会やゴルフ同好会、落語研究会にも参加した。
3か月もしないある日DFより英語でのスピーチを頼まれ快諾したが、講演先がトルコと聞いて驚いた。トルコ政府が近隣諸国の学生に奨学金を出して留学生として受け入れている事業に日本財団が資金援助をし、その一環として毎年、日本をテーマとした留学生向け講演をDFに依頼して来たことが背景にあった。 テーマを「世界の鉄鋼業の現状と地球温暖化への取り組み」とし、初めてパワーポイント作成に取り組み、英語の原稿はNative Checkも受けてイスタンブールに飛んだ。学生たちは熱心に聞いてくれ、質問も処理しきれない位飛んで来た。その活発さは日本の大学生とは大違いだった。それぞれ自分の国に帰って、鉄鋼業や温暖化対策に大いに関心を持ってくれるよう願った。 結局はその年の夏、シルクロードの旅の仲間達と再度行くことになったトルコだったが正にアジア文化と欧州文明の接点としての得も言われぬ雰囲気を満喫することが出来た。又、エルトゥールル号事件以来、大の親日国になったトルコが最近エルドアン大統領によって建国の父ケマル・アタチュルクの精神が消し去られるようとしている事に複雑な気持ちを抱いている。
帰国して相談役をしていた自分の会社に戻り品質管理月間のスピーカーに呼ばれ、日本語で同じテーマで講演をしたが、Q&Aセッションの最後に「CO2が本当に地球温暖化の原因なのですか?」と訊かれ、そう信じ切っていた私は虚を衝かれ爾来勉強を続けている。今は「CO2が原因であることを証明したとされるGMOシミュレーションには現在判っている要素だけを方程式に組んでいるだけで、定量的に方程式に出来ない要素(例えば太陽活動の強弱と磁場の強弱、宇宙線の増減と雲の発生量の関係など)は無視されており、シミュレーション自体が不完全であり、これによってCO2犯人説を証明したことにはなっていない」と考えており、その後アカデミー部会で数多くの大学に派遣され、鉄鋼業について話をした際、地球温暖化についても学生たちに考える種を提供出来た切っ掛けになった。
アカデミー部会からはその後、神奈川大学での工業英語の非常勤講師の話が有り、松崎さんと二人で5年間毎週1回2年生と3年生を教えた。英語が嫌いで受験科目に英語が無かったので工学部を選んだと言う学生が多いと言うやりがいのある職場で、毎週、前の週に教えた英単語や文法の試験問題を作ったり、採点するだけでも物凄い時間を取られ大変だった。色々な学生が居たが出来ない奴ほど力強い魅力が有った気がする。 夏休みには「永遠のゼロ」を読んで感想文を英語で書け、難しかったら日本語でも良いと言う宿題を出した。戦時中の同じ年頃の特攻兵が何を考えて死んでいったのか考えて欲しかったのが動機だったが、帰って来た感想文は勿論コピペも混ざってはいたが、感心する指摘も多かった。今でも感想文は自分の宝物として書斎に保管している。その後、松崎さんがコロナ感染拡大の中でもリモートで授業を続けて来たのには準備の大変さが判るだけに頭が下がる。
スキューバダイビングは米国駐在が終わって帰路、家族でハワイで休暇を楽しんだ時に息子と挑戦したのが初めてで、その後は仕事に紛れてその機会は無かった。本格的に挑戦したいとは思っていたが、許可証を取るのにもスクールに通う先輩の方々からフィリピンのセブ島では現地で3日間、3万円追加すれば正式な許可証が取れ、4日目には皆と一緒にダイビング出来ると聞き、2009年セブ島ダイビングに参加した。仲間がダイビングを楽しんでいる間、村のさびれたプールで訓練を受け、ヤシの木陰で座学講義を受け、無事合格した。以降、年2回、沖縄と海外を交互に20年のパラオまでタヒチやサイパン、タイのシュミラン諸島、グレートバリアリーフ、モルディブなど24回ほど潜りに出かけた。メンバーも当初の6名(杉山、横井、遠藤、三木、松本)から3名(長谷川、水口)に減ったものの、コロナが収まったら沖縄で足慣らしをし、小笠原に挑戦する積りである。
潜る度に竜宮城の様に美しい海の中をビデオに録り、DFの会報に報告を書き、YOUTUBEにも「どこどこダイビングング紀行」のタイトルで11本も投稿して来たが、その編集作業を一手に引き受けてくれた三納さんが先日お亡くなりになった。心からご冥福を祈るばかりである。パラオで撮ったビデオの海中シーンはBS朝日の「ボクらの地球」の「奇跡の七つの島」に採用されもした。
60年来のアメリカの友人が「リックとロッコの世界大冒険」と言う子供向けの小説を出版し、日本でも出版したいと翻訳を依頼され、AMAZONから電子書籍として出版した。このことを三納さんが知り、出版経緯をDFの会報に書けと薦められ、投稿したところDF会員の秋山さんが「檜節郎」と言うペンネームで「耳順居日紀」をオンデマンド印刷と言う形で紙ベースの本を出版したとの記事に巡り会った。早速お電話で色々ノウハウを教えて貰い、念願の紙ベースの本をAMAZONから出版できたのも三納さんのお陰であった。
こうしてDFでの思い出を振り返ってみると現役を引退した第3の人生に与えてくれたインパクトと価値は物凄く大きかったと感じている。 第1に新しい世界への挑戦の機会をくれたこと。スキューバダイビングや YOUTUBEへの投稿、本の出版などDFに入っていなかったら絶対に出来なかったことでる。 第2に新しい学びのきっかけをくれたこと。地球は温暖化しているのか否か、その原因が人間起因のCO2なのか否かなどトルコでの講演が無ければ常識的見解に流されていたと思う。今では草の根ながら自分のライフワークになっている。第3に若い学生達と触れ合う機会を得たこと。学生たちは人前では目立つことを嫌ったが、単位を落とされない為には個別折衝に来たり、実社会の先輩としての話に素直に耳を傾けてくれたり、兎も角楽しかった。 そして最後にDFの活動を通じ素晴らしい仲間に巡り合ったこと。講演会やパーティー、ゴルフのコンペや落語を聞く会などを通して実に多彩な、ユニークな仲間にお会いできた。この交友関係は今後も一生続くと思う。
こうして振り返ってみると受益ばっかりが目立ち、DFの為に何もした訳では無く、誠に申し訳なく、唯々感謝のみである。
DF20周年記念に際し思うこと
佐藤 眞樹(566)
2007年12月にDFの絹巻さんや松村さんと親しかった会社の先輩の薦めで現役引退を機にDFに入会した。入会面接でスキューバ同好会の有ることを知り長年の夢だったので即入会した。アカデミー部会やゴルフ同好会、落語研究会にも参加した。
3か月もしないある日DFより英語でのスピーチを頼まれ快諾したが、講演先がトルコと聞いて驚いた。トルコ政府が近隣諸国の学生に奨学金を出して留学生として受け入れている事業に日本財団が資金援助をし、その一環として毎年、日本をテーマとした留学生向け講演をDFに依頼して来たことが背景にあった。
テーマを「世界の鉄鋼業の現状と地球温暖化への取り組み」とし、初めてパワーポイント作成に取り組み、英語の原稿はNative Checkも受けてイスタンブールに飛んだ。学生たちは熱心に聞いてくれ、質問も処理しきれない位飛んで来た。その活発さは日本の大学生とは大違いだった。それぞれ自分の国に帰って、鉄鋼業や温暖化対策に大いに関心を持ってくれるよう願った。
結局はその年の夏、シルクロードの旅の仲間達と再度行くことになったトルコだったが正にアジア文化と欧州文明の接点としての得も言われぬ雰囲気を満喫することが出来た。又、エルトゥールル号事件以来、大の親日国になったトルコが最近エルドアン大統領によって建国の父ケマル・アタチュルクの精神が消し去られるようとしている事に複雑な気持ちを抱いている。
帰国して相談役をしていた自分の会社に戻り品質管理月間のスピーカーに呼ばれ、日本語で同じテーマで講演をしたが、Q&Aセッションの最後に「CO2が本当に地球温暖化の原因なのですか?」と訊かれ、そう信じ切っていた私は虚を衝かれ爾来勉強を続けている。今は「CO2が原因であることを証明したとされるGMOシミュレーションには現在判っている要素だけを方程式に組んでいるだけで、定量的に方程式に出来ない要素(例えば太陽活動の強弱と磁場の強弱、宇宙線の増減と雲の発生量の関係など)は無視されており、シミュレーション自体が不完全であり、これによってCO2犯人説を証明したことにはなっていない」と考えており、その後アカデミー部会で数多くの大学に派遣され、鉄鋼業について話をした際、地球温暖化についても学生たちに考える種を提供出来た切っ掛けになった。
アカデミー部会からはその後、神奈川大学での工業英語の非常勤講師の話が有り、松崎さんと二人で5年間毎週1回2年生と3年生を教えた。英語が嫌いで受験科目に英語が無かったので工学部を選んだと言う学生が多いと言うやりがいのある職場で、毎週、前の週に教えた英単語や文法の試験問題を作ったり、採点するだけでも物凄い時間を取られ大変だった。色々な学生が居たが出来ない奴ほど力強い魅力が有った気がする。
夏休みには「永遠のゼロ」を読んで感想文を英語で書け、難しかったら日本語でも良いと言う宿題を出した。戦時中の同じ年頃の特攻兵が何を考えて死んでいったのか考えて欲しかったのが動機だったが、帰って来た感想文は勿論コピペも混ざってはいたが、感心する指摘も多かった。今でも感想文は自分の宝物として書斎に保管している。その後、松崎さんがコロナ感染拡大の中でもリモートで授業を続けて来たのには準備の大変さが判るだけに頭が下がる。
スキューバダイビングは米国駐在が終わって帰路、家族でハワイで休暇を楽しんだ時に息子と挑戦したのが初めてで、その後は仕事に紛れてその機会は無かった。本格的に挑戦したいとは思っていたが、許可証を取るのにもスクールに通う先輩の方々からフィリピンのセブ島では現地で3日間、3万円追加すれば正式な許可証が取れ、4日目には皆と一緒にダイビング出来ると聞き、2009年セブ島ダイビングに参加した。仲間がダイビングを楽しんでいる間、村のさびれたプールで訓練を受け、ヤシの木陰で座学講義を受け、無事合格した。以降、年2回、沖縄と海外を交互に20年のパラオまでタヒチやサイパン、タイのシュミラン諸島、グレートバリアリーフ、モルディブなど24回ほど潜りに出かけた。メンバーも当初の6名(杉山、横井、遠藤、三木、松本)から3名(長谷川、水口)に減ったものの、コロナが収まったら沖縄で足慣らしをし、小笠原に挑戦する積りである。
潜る度に竜宮城の様に美しい海の中をビデオに録り、DFの会報に報告を書き、YOUTUBEにも「どこどこダイビングング紀行」のタイトルで11本も投稿して来たが、その編集作業を一手に引き受けてくれた三納さんが先日お亡くなりになった。心からご冥福を祈るばかりである。パラオで撮ったビデオの海中シーンはBS朝日の「ボクらの地球」の「奇跡の七つの島」に採用されもした。
60年来のアメリカの友人が「リックとロッコの世界大冒険」と言う子供向けの小説を出版し、日本でも出版したいと翻訳を依頼され、AMAZONから電子書籍として出版した。このことを三納さんが知り、出版経緯をDFの会報に書けと薦められ、投稿したところDF会員の秋山さんが「檜節郎」と言うペンネームで「耳順居日紀」をオンデマンド印刷と言う形で紙ベースの本を出版したとの記事に巡り会った。早速お電話で色々ノウハウを教えて貰い、念願の紙ベースの本をAMAZONから出版できたのも三納さんのお陰であった。
こうしてDFでの思い出を振り返ってみると現役を引退した第3の人生に与えてくれたインパクトと価値は物凄く大きかったと感じている。
第1に新しい世界への挑戦の機会をくれたこと。スキューバダイビングや YOUTUBEへの投稿、本の出版などDFに入っていなかったら絶対に出来なかったことでる。
第2に新しい学びのきっかけをくれたこと。地球は温暖化しているのか否か、その原因が人間起因のCO2なのか否かなどトルコでの講演が無ければ常識的見解に流されていたと思う。今では草の根ながら自分のライフワークになっている。第3に若い学生達と触れ合う機会を得たこと。学生たちは人前では目立つことを嫌ったが、単位を落とされない為には個別折衝に来たり、実社会の先輩としての話に素直に耳を傾けてくれたり、兎も角楽しかった。
そして最後にDFの活動を通じ素晴らしい仲間に巡り合ったこと。講演会やパーティー、ゴルフのコンペや落語を聞く会などを通して実に多彩な、ユニークな仲間にお会いできた。この交友関係は今後も一生続くと思う。
こうして振り返ってみると受益ばっかりが目立ち、DFの為に何もした訳では無く、誠に申し訳なく、唯々感謝のみである。