高齢で基礎疾患のある身にとっては、医療体制が必ずしも盤石とは言えない四国の田舎を旅するというのは無謀かもしれません。申し訳なさを心の片隅に置いて、3度目となるお遍路に挑戦しました。今回は、コロナの感染状況をにらみながら無理はしない。88箇所霊場巡りを1番札所から88番札所まで自らの脚で切れ目なく廻る一筆書きに固執しない。何回かに分けて廻る区切り打ちにすると決めていました。
13番札所大日寺の境内周辺で徳島駅行きのバス乗り場を探し、うろうろしていると「お送りしましょうか?」と女性から声をかけられました。「私は地元の高校教師です。教え子が県大会に出場するので、ご利益に預かりたいと久しぶりに参拝に来ました。是非、お接待させてください」と強く言われました。車を降りる際お礼すると、「良いことをさせて頂き、ありがとうございました」と逆に感謝されてしまいました。
早朝から5時間かけて岩だらけの旧道を抜け、23番薬王寺のユニークな形の多宝塔が見える地点に来た時のことでした。「お遍路さん、是非立ち寄ってください」との声。見ると、そこは歩き遍路のための休憩所でした。「ありがとうございます。でも目的地が近くですから」とお断りすると「コロナのせいでお遍路さんの数も激減。接待所を開いても使ってくれる人がいないのです」と懇願され、立ち寄りました。まず、お茶が出て、饅頭、せんべい、最後にコーヒー。「子供の面倒を見たくても、赤ちゃんを抱きたくても...」高齢化が進む地方の現状をお聞きすることになりました。
国道沿いのホテルにチェックインした際、地元の振興目的の5,000円分の特割クーポン券を渡されました。「ご覧のように私は県外から来ているお遍路です。地元の人の税金を使うわけには...」と躊躇していると、「そんなことはありません。お泊り頂いております。タクシーも利用できます。お接待と思って使って下さい」結局、翌日は29番国分寺、30番善楽寺、その先の宿近くまでタクシーで廻っていただくことになり、終日骨休めになりました。
50番繫多寺の境内に入ると、本堂や賽銭箱周辺などが花できれいに飾られていました。参拝に来ていた人に「何か特別なイベントでもあるのですか?」「今日は灌仏会(お釈迦様の誕生日)です。納経所で甘茶をお召し上がりください。お接待です」と言って小銭を手渡されました。そんなことも気付かずにお遍路している。恥ずかしいと心の中で思いながら、甘茶をありがたくいただきました。
64番前神寺への旧道では、突然後方から人の声。振り返ると私が遍路道を尋ねた方でした。大きな伊予柑3個とバナナの房を私に渡そうと必死になって追いかけて来たのでした。重くなったリュックサックを担ぎながら歩いていると、突然オートバイが通り過ぎ、前方で止まりました。運転していたのは若者。何かカバンの中を探っていました。横を通り過ぎようとしたところ、財布の中から1,000円札を取り出し「お接待です。食事でも」「ありがとうございます。お気持ちだけで十分です」「是非」「いや、お金だけは頂くわけにはいきません」こうしたやり取りの末、丁重にお断りしました。
土砂降りの中、88番大窪寺参拝。門前の土産処で「バスの最終便は5時ですよね?」「コロナ禍で、時間が変更され、今は4時半です。出たばかりです」何とか結願できたという安堵感も束の間、言葉を失ってしまいました。すると、お店の人が「もうすぐ閉店するのでお送りします。毎日、お遍路さんを見ていて、一度お接待をして見たかったんです」と言って下さいました。今回のお遍路も、お接待を通して人々との心温まる出会いや思い出を沢山作る事が出来ました。
「お接待です」
高齢で基礎疾患のある身にとっては、医療体制が必ずしも盤石とは言えない四国の田舎を旅するというのは無謀かもしれません。申し訳なさを心の片隅に置いて、3度目となるお遍路に挑戦しました。今回は、コロナの感染状況をにらみながら無理はしない。88箇所霊場巡りを1番札所から88番札所まで自らの脚で切れ目なく廻る一筆書きに固執しない。何回かに分けて廻る区切り打ちにすると決めていました。
13番札所大日寺の境内周辺で徳島駅行きのバス乗り場を探し、うろうろしていると「お送りしましょうか?」と女性から声をかけられました。「私は地元の高校教師です。教え子が県大会に出場するので、ご利益に預かりたいと久しぶりに参拝に来ました。是非、お接待させてください」と強く言われました。車を降りる際お礼すると、「良いことをさせて頂き、ありがとうございました」と逆に感謝されてしまいました。
早朝から5時間かけて岩だらけの旧道を抜け、23番薬王寺のユニークな形の多宝塔が見える地点に来た時のことでした。「お遍路さん、是非立ち寄ってください」との声。見ると、そこは歩き遍路のための休憩所でした。「ありがとうございます。でも目的地が近くですから」とお断りすると「コロナのせいでお遍路さんの数も激減。接待所を開いても使ってくれる人がいないのです」と懇願され、立ち寄りました。まず、お茶が出て、饅頭、せんべい、最後にコーヒー。「子供の面倒を見たくても、赤ちゃんを抱きたくても...」高齢化が進む地方の現状をお聞きすることになりました。
国道沿いのホテルにチェックインした際、地元の振興目的の5,000円分の特割クーポン券を渡されました。「ご覧のように私は県外から来ているお遍路です。地元の人の税金を使うわけには...」と躊躇していると、「そんなことはありません。お泊り頂いております。タクシーも利用できます。お接待と思って使って下さい」結局、翌日は29番国分寺、30番善楽寺、その先の宿近くまでタクシーで廻っていただくことになり、終日骨休めになりました。
50番繫多寺の境内に入ると、本堂や賽銭箱周辺などが花できれいに飾られていました。参拝に来ていた人に「何か特別なイベントでもあるのですか?」「今日は灌仏会(お釈迦様の誕生日)です。納経所で甘茶をお召し上がりください。お接待です」と言って小銭を手渡されました。そんなことも気付かずにお遍路している。恥ずかしいと心の中で思いながら、甘茶をありがたくいただきました。
64番前神寺への旧道では、突然後方から人の声。振り返ると私が遍路道を尋ねた方でした。大きな伊予柑3個とバナナの房を私に渡そうと必死になって追いかけて来たのでした。重くなったリュックサックを担ぎながら歩いていると、突然オートバイが通り過ぎ、前方で止まりました。運転していたのは若者。何かカバンの中を探っていました。横を通り過ぎようとしたところ、財布の中から1,000円札を取り出し「お接待です。食事でも」「ありがとうございます。お気持ちだけで十分です」「是非」「いや、お金だけは頂くわけにはいきません」こうしたやり取りの末、丁重にお断りしました。
土砂降りの中、88番大窪寺参拝。門前の土産処で「バスの最終便は5時ですよね?」「コロナ禍で、時間が変更され、今は4時半です。出たばかりです」何とか結願できたという安堵感も束の間、言葉を失ってしまいました。すると、お店の人が「もうすぐ閉店するのでお送りします。毎日、お遍路さんを見ていて、一度お接待をして見たかったんです」と言って下さいました。今回のお遍路も、お接待を通して人々との心温まる出会いや思い出を沢山作る事が出来ました。