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2022年10月19日 記

ディレクトフォース創立のころ

会員番号 1190 平尾 光司

季節も日付も忘れた20年前のこと旧知の長富祐一郎氏からお電話を頂いた。
趣旨は「企業・官庁のマネジメント経験者の再就職を支援する新組織を立ち上げるので世話人として協力して欲しい」ということであった。

長富氏は大蔵省関税局長から研究情報基金理事長に就任されていた。同氏は大平総理の政策秘書官を務めて大平内閣の「田園国家構想」を策定されるなど霞が関きっての政策企画マンであった。官民の勉強会をいくつか組織されて小生も参加していた。

新組織立ち上げの世話人にはパソナグループ南部代表、丸紅OB紿田英哉氏、同水野勝氏、安田生命OB石河正樹氏、住友化学OB小林昭生氏、経済企画庁前次官冨金原俊二氏など、小生も入れて12名が参加した。

パソナの南部代表は人材ビジネスとしてシニアマーケットの将来性を期待してプロジェクトのスポンサーになった。南部代表は新聞インタビューで次のように語っていた。
「大企業で定年となり現役を退いた方が顧問、相談役として会社に残り、お荷物のように扱われているにはもったいない」
世話人の仕事はまず発起人依頼であった。官民から新組織の発起人に相応しい方のリストを作り、人脈の広い長富氏のコーディネートで手分けしてお願いに上がった。小生はイトーヨーカ堂伊藤雅俊氏、富士総研福井俊彦氏にお願いに上がった記憶がある。
昭和電工社長大橋光夫氏、日本商工会議所会頭山口信夫氏、渡辺修ジェトロ理事長、橋本徹富士銀行会長はじめ、官民の有力者20名が発起人として名を連ねて頂いた。

新組織はそのころ施行された中間法人法に基づく中間法人として設立された。創立総会で水野勝氏が代表に選任された。名称はディレクトフォースと決めた。経営幹部(director)の経験者の力を活用するという組織の目的を名称にした。
創立総会の記憶はぼやけているが紿田さんのヴァイオリンの見事な演奏を覚えている。ディレクトフォースの発足は社会的な反響をよび、代表に就任された水野さんには新聞・雑誌のインタビューの申し込みが相次いだ。

パレスサイドビルの1室で横井事務局長など専任スタッフの方々が集結して手探りで業務が開始された。発足して2か月で会員集めを開始し、会の掲げる社会貢献活動、会員の交流などが動き出した。日本にこれまでなかった組織の運営、社会的認知、事業収入の確保に試行錯誤で衆知を絞った。

当時、小生は専修大学の教員を務めており、ベンチャー・中小企業の研究を専門にしていたので大学の授業支援とベンチャー支援を担当した。まず身近な専修大学経営学部に「新製品開発とマーケティング」という講座を提案した。半期15コマで新製品開発の企業の現場をオムニバス方式で学生に講義するという提案であった。マーケティング担当の高柳教授が教授会に諮ったがなかなか賛同が得られなかった。一計を案じて教員が嫌がる9時からの1限目を担当するという提案に変えたら教授会で承認された。授業は日産OBの会員が「スカイラインのモデルチェンジ」、花王OBの会員が「クルクルワイパーの開発」、アサヒビールOBの会員が「スーパードライの開発」などを展開した。受講した学生たちは教科書を説明に終わる大学教員の講義に対して生きた企業の現場の話が聞けると大好評であり、教員にも刺激になった。しかし川崎生田キャンパスの9時からの1限目の授業は講座の責任者の合田さんには武蔵小金井のご自宅を朝6時にでるという早朝出勤のご苦労をおかけすることになった。専修大学につづき昭和女子大学、獨協大学、武蔵野大学で始まった。拓殖大学ではコーポレート・ガバナンスの理解のための模擬取締役会というユニークな講義も提供した。
ベンチャー支援はベンチャー企業の勉強からベンチャー企業経営者との交流から始まり現在の企業支援の事始めとなった。世界最大の企業再生ファンドであるイギリスのCVCとアドバイザリー契約を結んだのもこの頃であった。
会員交流の同好会は事務局長の横井さんのそば打ちはじめゴルフ、囲碁、歌舞伎、コーラスなど次々と立ち上がった。会員研修の研究会、勉強会も各分野で発足した。

当時、シルバーパワーを活用するという組織の発足が相次いだ。20年経ってディレクトフォースが屹立した存在感を発揮している。
歴代の代表、事務局の皆さんのご苦労と会員の協力の賜物であると感謝し、次の20年に向けてのさらなる発展を期待したい。

以 上