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2012/06/01(No126)

「ベトナム今昔物語」   その1

古屋 昭彦

筆者ベトナムといえば、ひと昔前までは、あのベトナム戦争とボート・ピープルのイメージのせいか、貧しくて暗い国と思う人が多かったはずです。最近では、若い女性にも人気の旅行先として、テレビ等でも紹介されるほど、目覚ましい変貌を遂げています。この国の変革期であり、他方、日々の生活も困難な1993〜95年に、ハノイに勤務した私にはうれしい変化ですが、当時、来越したビジネス、マスコミ関係者が、必ず質問した「ベトナム人は米国をどう思っているのか?ベトナム戦争の後遺症は?」という点にしぼり、今回は、話を進めます。

93年当時、米国は国交がなく、戦争中行方不明となった米兵の捜査のためのMIA事務所だけでしたが、この捜査への協力が対米関係進展のカギでした。私がよく会ったMIA事務所の所長が、「ベト

近代化する風景
近代化する風景
変貌する街並み
変貌する街並み
ナム政府は協力的で、地方の人々もとても親切」と明言。この努力の結果、93年、94年のクリントン大統領の発表になる。前者は「ベトナムのIMFに対する延滞債務の解消に反対しない」、後者は「行方不明米兵の消息確認に最善と考え、対越禁輸解除を決定」というもの。かくて政府間では、95年の国交正常化になるが、一般のベトナム人の米国観は?

<私の答え>日本人同様、ベトナム人は、次の理由で、米国が好き。

  1. 当時50万人といわれた在米越人が、86年以降、帰国が認められ、ドルと米国製品をお土産に家族と再会。彼らは、米国は自分達に仕事と市民権をくれたオープンで豊かな国と言うでしょう。それを聞く家族は、未だ見ぬ国、夢の国米国を思い、いわゆるアメリカン・ドリームを抱きます。
  2. 93年当時の、貧しい生活の中で、ハノイの町に流れる音楽といえば、マイケル・ジャクソンとマドンナ。アメリカの文化輸出に若者が夢中になっても、不思議はなく、結果、アメリカへのあこがれが強くなります。
  3. 85年大インフレを経験したベトナムの人の箪笥預金といえば、ドルでした。ドルを貯めて、金を買い、金の延べ棒4本で家が建つとかいわれた時代で、大事にドルを貯めつつ、米国式の家を建てる夢を見るのです。

ふるやあきひこ ディレクトフォース会員 
元外務省(国際社会協力部審議官、OECD日本政府代表部公使、在ゼネガル大使館特命全権大使、
国際協力銀行理事、在南アフリカ大使館特命全権大使、外務省特命全権大使)