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2012/05/16(No125)

「心に残る言葉」  「縁起」そして〈も〉と〈しか〉  

若林 肇

筆者最近は、サッカー、ゴルフをはじめ、スポーツ中継番組がテレビで数多く放送され、真剣に応援するにせよ、息抜きで見るにせよ、スポーツのテレビ観戦が余暇の過ごし方の一部になっている。

特に今年は、オリンピックイヤーということもあり、最近行われたマラソンのオリンピック代表選考レース等は、多くの人が注目するところとなり、私も中継に見入った者の1人である。2時間以上に亘って走り続けるレースでは、日ごろの練習の成果が基礎になっていることは勿論であろうが、天候や給水等でのアクシデントもからんで、精一杯の力を発揮できた選手や、思い通りの力を発揮できず、選考にもれた選手もいて、悲喜こもごもであった。

翻って、私の少年時代を振り返ると、テレビのスポーツ中継といえば、大相撲とプロ野球がほとんどであった。当時は、ほかに楽しみがなかったこともあり、相撲や野球の中継を楽しみに、勉強を放り出して見入っていたことを思い出す。

プロ野球でいえば、新人長嶋(巨人)が金田(国鉄)との初対決で4連続三振、〈神様、仏様、稲尾様〉の鉄腕稲尾(西鉄)の快投、杉浦(南海)の日本シリーズ4連投、打撃の神様川上(巨人)や怪童中西(西鉄)の活躍等、数々の場面が頭をよぎる。

また、大相撲では〈栃若〉の時代で、若乃花は貧しい家に育ち、石炭運びの仕事をしたことで足腰が鍛えられ、横綱になるほど強くなったという伝記漫画本もあり、テレビの前で必死に応援したのを思い出す。

ほかの分野でも同じであるが、スポーツでも各々の分野で頂点を極めた人には、才能に加えて、何か信念のようなものを感じる事が多い。そんな中で、いまだに私の記憶に残る言葉が2つある。いずれも、随分昔の話だが、新聞で読んだ言葉として記憶している。

ひとつは巨人の王。彼曰く、「あるシーズンでホームランを50本打ったとして、その時に、50本〈も〉打てたと思うか、50本〈しか〉打てなかったと思うかで、シーズンオフの過ごし方が全く違う。50本〈も〉打てたと考えてしまうと、そこで進歩が止まってしまう。50本〈しか〉と考えれば、さらに上を目指して自分にきつい練習を課すことができる」。一本足打法を完成させるのに、宿舎の部屋の畳が擦り切れるほど夜中まで素振りをしたという話を聞いたことがあるが、心の中ではこういう気持ちを持って自分に向き合っており、それが何年も本塁打王を続けたり、生涯本塁打の世界記録に繋がったりしたのだと、読んだ当時、感心した。

もうひとつは、横綱栃錦が相撲協会理事長になってからの言葉。「相撲取りだから場所にはゆかたを着て行く。力士の間では、あるゆかたを着て、その日の取り組みで負けると、そのゆかたを着ない人が多いが、自分は勝つまでそのゆかたを着続けた」と言う。誠に心の強い言葉である。

2つとも、頂点を極めた人はさすがと思わせる言葉で、何十年もたった今でも心の中に残っている。

ところで、私は、野球では、少年の頃から筋金入りのアンチ巨人、栃若時代の相撲では、より小兵であった若乃花のファンであった。ファンとしては好きではなかったこの2人の言葉が、いまだに心の奥に残っているとは、これまたどうした因縁であろうか。

わかばやしはじめ ディレクトフォース会員、元日立製作所、日立ディスプレイズ