イベント名 | 開催年月日 | 行き先 |
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第18回 「DF久米島ダイビング」 | 2015/08/26~08/30 | 沖縄・久米島 |
第17回 「パラオダイビング紀行」 | 2015/03/31~04/05 | パラオ |
■ 第18回 「DF久米島ダイビング」
春、秋は海外、夏は沖縄と言うしきたりに従い、第18回ダイビングは8月26日から8月30日まで久米島で潜った。久米島は沖縄本島から西へ約百キロ、「イノー」と呼ばれるサンゴ礁に囲まれ、島の周辺はダイビングスポットに恵まれ、沖は水深百メートル級の急深な地形故にジンベイザメや大型の回遊魚に恵まれ、冬はクジラも狙えると言う。沖縄ではこれまで座間味、慶良間、石垣、西表と潜ったが、久米島が5か所目のダイビングスポットとなった。今回は常連の杉山、佐藤に加え、国内と言うこともあり、久し振りに怪我から復帰した横井さんと、三木さんも参加し4名となった。参加メンバーが増えただけで、羽田空港でラーメン、餃子とビールで出発を祝う結団式から既に楽しさが倍加した感じだった。
今回は台風が過ぎた直後で未だ未だ風が強く、潜ったスポットは島の北側に限られ、楽しみにしていたイソマグロやギンガメアジ、運が良ければマンタまで見られると期待していた島の南側の「トンバラ」と言う有名なスポットでは潜れなかった。
初日はウーマガイやリュウキュウと言うスポットで潜った。カスミチョウチョウウオの群れやハナゴイや何種類かのクマノミに出会ったが、やはり台風の影響で海底の砂が巻き上げられ、透明度は期待したほどではなかった。ペアのハタタテハゼが愛嬌を振りまいてくれたのが唯一の慰めだった。僕は2本目は何となく頭が重く、体調がすぐれず、潜らないことにした。我々の仲間では「止める勇気」を大事にしている。どうもボンベから空気を吸入する弁を締め過ぎて、酸素が不足気味だった様で、弁を少し開いてみたら3回目からは快適なダイビングを楽しむことが出来た。
三木さんは今回はダイビングではなく、シュノーケルに専念すると言うことで、一緒の船で海に出て、我々が潜っている間、船の回りを泳ぎながらシュノーケルを楽しむはずだったが、ダイブハウスから断られた。不思議に思っていたが、久米島では船長までが潜ってしまい、誰も船の上にスタッフが残らず、シュノーケルをする人の安全管理が出来ないと言うことが判った。今まで潜った海では必ず船長が残って、途中ではぐれて海面に上がってくるダイバーを見つけて拾い上げるとか、船が流されない様に注意するとか、海面下のダイバーの安全を確認するとかしたものだが、久米島では他のダイブハウスの船も同じ様に船の上に残っているスタッフは居なかった。どこかが要員を合理化し、競争上、他もそれに倣ったのかどうか判らないが、些か安全面で問題が有りそうな気がした。三木さんはシュノーケルをやっているハウスを紹介されて一人で出掛けて行ったが、やはり一人では面白くないと早めに久米島を後にした。
2日目はシチューガマ、月面空間、トンバラザシで潜った。ハマクマノミやクマノミ、グルクンとも呼ばれ沖縄の県魚になっているクマザサハナムロの大群や、団体で余り動こうともしない黄色のポッチが特徴的なノコギリダイの群れにも遭遇した。圧巻は食事に夢中でダイバーが居ても我関せずのアオウミガメをじっくり眺め、最後は岩の狭間で眠っているアオウミガメを起こさない様に気を付けて、じっくり眺めながら上がった。
3日目は再びシチュウガマ、イマズニ、トンバラザシとイマズニを除いて2度目のポイント。一度位は、トンバラなど南側で潜りたいと思ったが、風の加減でダメなのだそうだ。
先ずは真っ暗な洞窟に入り、懐中電灯で照らしてみるとアカマツカサがフアッと明かりの中に浮かび上がり、そして明かりに照らされて迷惑そうに暗闇に消えていく。こんな真っ暗なところでどうやってエサを捜すのか不思議だ。外に出て、黄色も鮮やかなフエヤッコダイ、僕のこよなく愛する優雅な佇まいのツノダシのペア、カスミチョウチョウウオの群舞やいくつかのクマノミの家庭を覗き見し、ちょっかいを出すとムキになって、突撃してくるのをからかいながら、久米島のダイビングも無事終了となった。
3日間台風の直後で太陽が顔を見せず、海の中も光が踊ることもなく、どんよりとしたブルーグレイの世界だけだったのと、これはと言う新しい魚に巡り会う驚きも感激も少なかったのが一寸残念だった。
ログ付けは潜り終わった後、機材を洗ったり、しまったりして、一段落してから、温かいコ―ヒーを呑みながら、今日の海の中を振り返り、インストラクターと「あれは何の魚だった?」などと話しながら、海や魚の知識を深め、バディー仲間の親交を深めて行くのが楽しいのだが、今回はログ付けもポイント毎に見た魚の名前を紙に書いて、壁に張り出してあるだけで、そこには会話が無いのが残念だった。
来年の3月には再びパラオの海に戻り、体長1メーターは優に超すカンムリブダイ(その姿がアメリカ西部の大平原に住む野牛に似ているのでバッファローフィッシュとも言われる)の何千匹と言う群れの一斉産卵を見に行く予定にしている。ご興味のある方は是非参加して戴きたい。
ダイビング専用クルーザー「龍馬号」(ビデオ) (左の三角マークをクリックするとビデオが開始します。 右の拡大マークをクリックするとフルスクリーンになります) |
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パラオのダイビングスポット |
■ 第17回「 パラオダイビング紀行」
今回は中核メンバーの相次ぐ故障により参加者は杉山さんと僕のたった2人となってしまった。ぐるぐるマンタやローニンアジの大群と4月初めの満月の日の早朝のバラフエダイの一斉産卵を狙い、ダイビング専用クルーザー「龍馬号」に乗り込んだ。日本各地から14名のダイバーが乗り合わせた。皆、1000本以上の経験を持つ、ひと癖有り気なベテランばかり。我々の150本とか200本等はヒヨッコと言った感じで、些か肩身が狭い。
3月31日深夜にコロールに着き、そのまま「龍馬号」に乗船、翌朝、朝飯後の1本目はお馴染みのブルーコーナー①。台風がグアム島からフィリピンに向かっているとのことで、ロックアイランドに囲まれた内海とは言え、波やうねりが大きい。ここは岩棚から一挙に深い崖(drop off)になっており、崖の中腹を大物が悠々と回遊するパラオダイビングのメッカ。台風の影響で太陽が雲に隠れ、砂が巻き上げられ、視界はいつものブルーと言うよりグレイに近かかったが、お馴染みのグレーリフシャーク、バラクーダ、ナポレオンフィッシュ、カンムリブダイ、マダラタルミなどが泳ぎ回り、ウメイロモドキが群れをなして視界を横切り、カスミチョウチョウウオの群れが正に蝶々の様に舞い群れていた。パラオに帰って来たと言う実感を味わった1本目だった。
2本目はジャーマンチャンネル②。第1次世界大戦前にパラオを植民地としていたドイツが掘った水路である。ここはマンタが来る事で有名なポイントで、これまでは体に着いた虫をベラなどの小魚に食べて貰う所謂クリーニングポイント(海底に付き出た大きな岩根)にやって来るマンタを海底の岩根の近くで隠れて待つと言う待ち伏せスタイルだったが、今回は海面近くで捕食中のマンタを狙うと言う。オオメカマスやカスミアジなどと一緒に泳ぎながら、ヨスジフエダイの綺麗な黄色の群れを眺め、暫く行くと目の前を4畳半はあると思われるマンタが滑る様に通り過ぎて行った。思わずカメラを向けビデオを取り続けた。第1の目標達成である。
3本目はニュードロップオフ③。ゆっくり流しながらブルーコーナーの小型版の様なポイントを余裕を持って楽しんだ。
ダイビング・クルーザー「龍馬号」のメリットは1本終わる毎にダイビングボートから「龍馬号」に戻り、シャワーを浴び、着替えをし、昼寝をしたり、食事をしたり、お喋りをしながらコーヒーを呑んだり、濡れた水着やウエットスーツを乾かしたり出来る事。夕食は「龍馬号」のデッキの上で沈む夕陽を眺めながら、潮風に吹かれ、好きなお酒を呑んだり、日本人のシェフが作ってくれるおいしい食事が堪能出来ると言う事で、食後も幾つかのグループに分かれて、猛者連中が今まで潜った事が有る世界中のダイビングスポットの情報交換や撮った写真の見せ合いっこ、人生相談から、商売の立ち上げの相談など正に人生模様の縮図を見られる事。
今回の筆者の最大のポカはビデオで撮った魚の名前をインストラクターに確かめる為に、カメラをパソコンに接続してログ付けに出かけたが、部屋に戻ってから既にパソコンにダウンロードしたと勘違いしてカメラの動画を消去してしまったことだ。マンタもグレーリーフシャークも皆、一瞬で消えてしまった。正に後の祭り。
2日目は朝5時半に起こされ、再び早朝のブルーコーナー①へ。見慣れた連中に加え、大きなイソマグロが猛スピードで通り過ぎ、僕の大好きな如何にも熱帯魚の代表の様なツノダシが群れをなして流れる様に泳ぎ去るのを眺めた。朝飯を食べた後の2本目も引き続きブルーコーナーへ。3本目はお休みし、4本目はジャーマンチャンネル②に再挑戦したが、マンタには会えなかった。
熱帯魚の代表ツノダシ(ビデオ) |
3日目、「龍馬号」はペリリュー島の近くに移動。内海から外海に移ったのでうねりが大きく、双胴船で安定している「龍馬号」も、揺れが大きく、廊下を歩く時なども気を付けないと転びそうになる。朝5時半に起き、未だ暗い中を快速ボートでペリリューコーナー④に向かう。朝焼けが見事な美しさを見せる。ペリリュー島の南の先端に先の大戦で亡くなった英霊の慰霊碑が見えて来た。
天皇陛下が1週間後にこの慰霊碑に来られる。準備の為であろう、日本の海上保安庁の巡視艇が沖合に停泊していた。パラオの人達はとても日本びいきで独立した際、国旗も国民投票で白地に日の丸を模して、海の青地にお月さまの黄色の丸に決めたと言う。
海から見たペリリュー島(ビデオ) |
昨年、パラオに来た時にインストラクターからペリリューの流れの速さとダウンカレント(崖から下向きの流れ)の恐ろしさを聞かされ、かなりの技術が無いと無理だと言われていたのを思い出し、気を引き締めて、波が荒い中、流れに持って行かれない様に、素早く海底の集合場所まで潜る。もたもたしていると流れに持って行かれ、仲間と離れ離れになってしまう。何とか仲間と離れずに集合し、早い流れの中をバラクーダやツムブリ、ローニンアジの大群を眺めながら先を行く。岩棚の崖淵の一寸下がった所がダウンカレントの内側になり、流れが緩やかになっており、そうした崖の窪みに身を隠して大物の行きかうのを眺める。バラフエダイも岩棚近くにどんどん集まり始めて、群れをなして泳いでいたが狙った産卵場面には出会わなかった。明日が満月なので明朝、再度挑戦することとなり、初めてのペリリュー挑戦を無事終える事が出来た。
朝飯後、2本目はペリリューエクスプレス④に潜った。エクスプレスと言う名の通り、朝潜ったペリリューコーナーよりも流れが早いポイントだそうだが、一度経験したせいか、比較的スムースにツバメウオやグルクン、バラクーダやローニンアジの群れを眺める事が出来た。ローニンアジの大軍を追って夢中でビデオを取っている間に気が付くと40メーターもダウンカレントに持って行かれていた。慌ててフィンキックをフル回転し、仲間の居る水深20メーターまで上がる。そして我々は仲間より少し早めに船に上がった。流れが早い分、息が早くなり、ボンベの空気の消費が早くなる。
3本目は昼飯前に再度エクスプレス④に挑戦。ローニンアジやグレイリーフシャーク、可哀そうに絵にならないと皆から嫌われているマダラタルミの群れを眺めたが、流石に慣れたとはいえ、ダウンカレントが激しく、岩陰にしがみつき、匍匐前進せざるを得ない場面も有った。
昼飯後の4本目はジャーマンチャンネル②に戻り、消えてしまったぐるぐるマンタを再度ビデオに収める筈だったが、昼食後キャビンで昼寝をしている間に話が変わって、ペリリューカット⑤と言うポイントで潜る事に変更になっていた。残念だったが、ペリリューの主要な全ポイントで潜ることも悪くないと思い直した。
カットとは岩棚が切れ込んでいるところで、流れが或る時は緩やかに、或る時は逆巻きになったり、予測の付きにくいポイントだそうだが、その時は誠に穏やかな流れで、ペリリューで初めてのんびりとバラフエダイ、ギンガメアジ、バラクーダの群れを楽しむ事が出来た。こうしてペリリューの初日は無事終了した。夕飯前の夕焼けの美しさは筆舌に尽くしがたいものだった。
最終日、今朝も6時には「龍馬号」を快速ボートで出発。台風はフィリピン方向に抜けたそうだが、波とうねりは更に激しくなっていた。これが今回最後のダイビングである。
6時半、仲間に遅れずに無事集合場所に着床。物凄い流れに沿って岩棚を流れて行く。止まろうとして、岩棚の小さな岩とかサンゴに捕まろうにも、早い流れで岩肌がつるつるしていて中々適当な突起物が無い。岩棚の端っこまで流された時にやっと小さな突起物に捕まる事が出来、体を固定させる。目の前を何千匹ものバラフエダイが大きな流れの様に横切って行く。カメラを持つ右手を岩から放し、ビデオを回す。バラフエダイの群れの中からヌッと3〜4メーターもあろうかと思われる太ったブルシャークが現れる。産卵に夢中になって、天敵に注意が向いていない時を狙ってバラフエダイを食べるのだそうだ。群れがどんどん大きくなって来る。そんな一瞬をついて、1匹のメスが上に向かって泳ぎ出すと一斉に周りのオスも競い合って付いて行き、メスの産卵に合わせて、一斉に放精する。辺りは乳白色なる。そしてそれを合図に至るところでメスが泳ぎ上がり、何匹ものオスが追随し、辺りの海は乳白色に染まる。
産卵のために群れをなして集まったバラフエダイ(ビデオ) |
圧力計を見ると残りは30を切っている。インストラクターに合図し、一緒に上に上がる。オクトパス*で空気を貰いながら安全停止をし、海面に出、快速ボートに拾って貰う。これで全て終わった。無事ペリリューを乗り切った安心感と満足感にしたる。
夜は去年我々をガイドしてくれたサキさんと憧れの麻衣ちゃんに寿司屋で会う。麻衣ちゃんとパラオ人のご主人との間に生まれた3歳になる桃太君が愛嬌を振りまく。桃太を追ってお店の外に出ると、夜空に天高く皆既月食がくっきりと見えた。次に皆既月食が見えるのは我々の孫の時代かも知れない。
(文責:佐藤)
【註】オクトパス:スキューバダイビングで、ほかの人たちの酸素が切れたときに用いる予備のレギュレーター(タンク内の圧縮空気を減圧する調整器)。