穴水の町は・・・
快晴の10月上旬、JR七尾線・のと鉄道を乗り継ぎ、終点の穴水駅で降りた。正面にロータリー、右にバス乗り場、左に土産店という以前と変わらぬレイアウト。しかし歩く人はまばらで、駅に隣接する商店は地震で崩れたまま。駅近くの施設「さわやか交流館プルート」は、以前は穴水町出身力士 遠藤関の展示をしていたが、今はボランティアの拠点となっている。
穴水の町を歩くと、ところどころ地震で壊れた家がそのままの形で残っている。大工さんが入っている様子もない。約40軒の店が並んでいた商店街はシャッター通りとなっていて、そのシャッターさえも壊れている。奥能登は、2024年1月1日の地震後、9月下旬には豪雨に見舞われた。町を横切る川の両岸には土嚢が積まれ、大雨の跡が伺える。
しかし飲食店はところどころ開いていて、「海鮮」「能登丼」などの旗が風に揺れている。これらのお店で、能登の美味しい食材がこの土地で復興を頑張っている人の心と胃袋と満たしていると思うと嬉しくなった。
奥能登と私
学生時代に初めて輪島に行き、在職中にもフィールドワークでお世話になるなど奥能登に数回訪れる機会があった。そのため昨年末発刊の『日本再発見紀行 第4集』では奥能登を担当した。
取材で2023年前半にのべ10日間にわたり輪島・珠洲に滞在した。訪れた多くの場所で、能登の食、工芸、歴史の豊かさを感じ、そこに住む人たちとのあたたかい交流で幾度も幸せな気持ちになった。
取材協力のお礼を言うため訪問予定を立てようとした矢先、2024年元日の16時10分「能登半島地震」が発生。輪島の朝市通り、千枚田、塩田、サイクリングには絶好の海沿いの道、見附島、蛸島漁港、能登杜氏発祥の酒蔵、奥能登国際芸術祭の作品たち・・・テレビで報道される映像から、変わってしまった姿を見守るだけだった。現地ボランティアとして働くには足手まといになるだけの私に何が出来るだろうか・・・自身に問い続け時間だけが経った。
10月に観光立国研究会のツアーで金沢・富山に行くことになり、この機会に奥能登に行こうと決心した。
能登ワイナリー
『日本再発見紀行 第4集』で能登ワイナリーのことを書いた。穴水駅からタクシーで15分のこのワイナリーは、能登空港開港に合わせ地域おこしの一環として作られた。空港に近く、バスツアーの訪問スポットになり、レンタカーを利用した個人客も訪れていた。国内のワインコンクールで金賞を獲得するなど、ワインの品質も向上している。
地震や水害の影響は最小限で免れたものの訪問客は激減したが、最近奥能登のツアーが限定的に復活し、ようやく訪れる人が出てきたとのこと。
「ワイン友の会」に入り、会費で送ってもらうワインを選んだ。
『日本再発見紀行 第4集』を渡し、お礼を述べた。
福寿司
福寿司は、近隣病院の先生に教えてもらったお寿司屋さんで、大将と奥さん二人で店を営んでいる。味とふたりの気さくな人柄から、全国にファンがいる。能登地方のブランド「能登丼」立ち上げ時にも、大将がパンフレット一面に出ていた。
能登丼は、能登の海の幸が凝縮されてご飯にのっていて、以前と変わらず美味しかった!
地震や豪雨の様子を聞くと、元日の地震で店の中はぐちゃぐちゃになった、とのこと。震災後日本全国から、安否の確認や励ましの言葉が届いた。店の暖簾は、有名落語家(故人)の奥様が見舞いに送ってくれたそうだ。
9月末の豪雨の影響は、穴水は他地域に比べ小さかったが、「窓の外が雨で真っ白で、そういう状態が何時間も続いた。本当に怖かった・・・」とおかみさん。輪島の知人は、地震から立ち直ろうとしていたが今回の豪雨で打撃を受け、再建をあきらめたとのこと。
「人が一生に1度会うかどうかの災害が、この1年で2回も。何で能登だけが・・・と思ってしまう」返す言葉もなかった。それでも、何も出来なくて訪れて良いものか迷った私の心情を伝えると、
「来てくれてありがとう!今ここがどんな状況か見て、伝えてくれるだけで嬉しい。」
救われる気がした。また来ると約束した。
「能登はやさしや、土までも」
奥能登は全国でも飛び抜けて高齢化が進んでおり、「奥能登の高齢化率(65歳以上)は40年先の日本」と言われる(国立社会保障・人口問題研究所2006年12月発表)。
10数年前にフィールドワークで訪れた際、冬場雪で閉ざされる地域に住む高齢者に自治体が対策しようとしたところ「自分たちはいいから、(限りある税金は)若い人に使って欲しい」と言うのを聞いた。はたして今後、全国の高齢者がこのような言葉を言えるだろうか。
そして地震後も、インタビューに答える被災者の「自分たちよりもっと困っている人がいる」という言葉を何度も聞いた。このやさしさ、他を慈しむ気持ちは、どのようにこの土地で形成されてきたのだろうか。
もう能登に災害を起こさないで欲しい、そしてこれまでの苦難を補ってあまりある恵みを与えて欲しい。祈るような気持ちで穴水をあとにした。
けんもく くみこ(1334)
(アカデミーグループ、観光立国研究会、授業支援の会)
(元 富士通・富士通エフサス)