90歳を前に思うこと
話せる幸せ、話せぬ不幸

メンバーズ・エッセイ
撮影:神永 剛

2024年10月16日 (No. 423)
秋山 哲
祝 秋山 哲 様 卒寿

人間は言葉によるコミュニケーションなしには生きていけない。90歳が目前に迫ってきてつくづく思うのである。

飲み友達というものがいなくなってくる。電話でちょっと話す、という相手も数少なくなる。同級生の世話をしてくれている友人は月に一、二度電話をくれるが、その内容は誰が死んだ、誰が入院した、の類である。

娘と二人で住んでいるが、彼女は仕事で出かける。海外出張で5日も1週間も留守になることもある。そうなると、何日も言葉を発することがない、という状態になる。

パソコンに向かってものを書いたり、絵を描いたり、やりたいことはそれなりにあるけれども、口から言葉を出さないということは孤独の証明でしかない。

朝散歩に毎日出る

朝散歩に毎日出る。5千歩程度は歩く。住んでいるニュータウンは遊歩道が整い、しかるべき間隔で公園が配置されていて、ベンチもあって具合がいい。飼い犬が元気であったころからの「犬友達」に出会うと嬉しくなる。話ができるからである。「お前いくつになった?」「お前は元気でいいなあ」「病気はしてないか」。犬に話しかける。飼い主が答える。

最近は犬を連れていない人にも話をするようにしている。「暑いですなあ」と声をかけて顔を向けてくれればしめたものである。「お元気ですねえ。失礼ですが、おいくつですか」。このあたりからコミュニケーションが始まる。

いろんな出会いがあった。隣のベンチに腰を下ろすのが始まりになる。旅行作家として若い時から世界を渡り歩いていた人もその一人だ。北極のイヌイットの話から始まった。その延長線上で画廊を開業したという話を聞いていると、今度は人形博物館も持っている、と言い出す。「すごいですねえ」と感心していたのだが、気の毒なことにパーキンソン病を発病して散歩もままならないという状況に追い込まれていたのである。話は幅広くなり、深くなっていくと同時に、この人の不幸に同情心が湧き出し、涙がこぼれかける。病気さえなければまだまだ活躍できるのに。

初めて会ったにもかかわらず、時間を作って食事をしましょう、ということになった。

こんな人にも出会った。火ばさみと大きなビニール袋をもって歩いている。散歩しながら、遊歩道や公園のごみ拾いをしているのである。話しかける。立ち話は長引いた。おじいさんがロシア人で、東北地方で村長を務めたという。もちろん日本国籍を取ったのだろう。この人自身もロシア女性と結婚していたのだそうだ。そういう関係のビジネスで成功もしていたのだが、脳の病気になり、記憶力が衰えてしまったので、仕事をたたんで今は一人住まいをしている、ということだった。

何日か後にまた出会った。記憶力に問題があるというこの人、再会したとたんに私の名前をちゃんと呼んでくれた。一生懸命に名前を覚えてくれたのである。こちらは聞いていた名前が出てこなくて「ご免。お名前をもう一度」などという恥ずかしい思いをした。

ちょっと変わっていたのは、道端のベンチで弁当を食べていた人。気功の大会に来たといっていた。こちらが聞くから「気」の解説してくれたのだが、急に立ち上がったこの人、私の顔の前に「エイッ」と手のひらを広げた。電気というと大げさだが、なにか「気」らしきものが私に向かってくるのを感じた。「感じましたか」「ええ、何かがこちらへ向かって来ました。こういうことってあるんですか」「あるんですよ」。

少し前の話になるが、秋田県の高校を出て東京に働きに来た、という私とほぼ同年齢の人と何回も出くわして散歩友達になった。東京でお酒の空き瓶回収の仕事を始めたのだそうだ。空き瓶を満載した重いリヤカーを自転車で引っ張って六本木の坂を登る苦しい日々が毎日だったという。その仕事をロッカールーム会社にまで育て上げたのが彼の成功物語である。子供がなくて後を継いでもらう予定の養子さんが亡くなって困っていたのだが、月に2回はゴルフに行くという元気者だった。しばらく会わないので、どうしたのか、病気でもしているのか、気にかかっている。

二、三日前にもベンチで休んでいる前を早足で通りかかった人に「暑いですねえ」と声をかけた。通りすぎようとしたこの人、すぐに足を止めて「話してくれる人がいた。俺も座ろう」といって横に腰をおろしてくれた。例によって年齢を確かめたり、住まいを聞いたり。個人情報を聞き出すのはよくないことだろうが、初めて会う人と話すきっかけはそれ以外にはない。

私の年齢を聞いたこの人「94歳で毎日この道を散歩している方がおられますよ」といって私を励ましてくれるのだった。

こういう出会いがあると、不思議なことに、元気が出る。1時間も歩くと疲れが出てきて足が重くなるが、誰かさんと長話をすると、その後、足の疲れを感じない。さっきの話を思い返したり、ちょっと考え込んだりして「反芻」すると、疲れている足から関心が遠のくのだろう。時として、頬がゆるんでくるようなこともある。話すということは幸いを呼ぶ。

しかし、一般的にいって、こちらが挨拶しても話しかけても反応しない人は結構多い。特に男の老人とは会話の成功率が極めて低い。がっかりする。むしろ足の疲れが重くなる。話せないということは間違いなしに不幸を呼ぶ。

実は、このほど老人施設に1週間の体験入居ということをやってみた。施設が気を使ってくれて、4人掛けの食卓に海外経験のある人ばかりを集めてくれた。一人の人は流動食を摂っていて、口がうまく動かなかったのだが、それでも苦労しながら話に加わってくれた。おかげで食事時間の会話はそれなりに進んだ。それぞれに若い時のアメリカや南アフリカ、中東などの駐在経験をもとに話をしてくれる。こちらも自分の海外経験の話を盛り上げて楽しかった。

しかし、この食卓を囲むのは1日4回、つまり朝、昼、夜の食事とおやつの時間である。日を重ねてこれが3日、4日となると、話が尽きてくる。老人の話は基本的に昔の体験談である。それも、かつて働いていた業界の話ばかりだ。同じ話の繰り返しになる。トランプがどうした、といった今時点での話には関心が向いていない。私も、何か話さないと場が持たない、と思っても、この4人が共通の関心を持てる話が思いつかない。

施設が配慮してくれた「話せる環境」の効果は1週間は持たなかった。まして、海外駐在であれ何であれ何らかの共通の人生経験を待っていない老人の間では会話の成立は困難だということが分かった。

いずれ老人施設にお世話になるのかもしれないが、話し相手が見つからずに「話せぬ不幸」に悩むことだろう。

今朝散歩中に出会った女性。ご主人が亡くなって博多から横浜に移ったのだが、近所に話す人がなくて「日本語を忘れそうだ」といっていた。

超高齢化社会はコミュニケーションが不足する、コミュニケーションが欠落する社会である。自由な会話ができなくなる世界をどうやって生き抜くか。避けることができない大問題である。

以上

あきやま てつ(544)
(元 毎日新聞)