友有り遠方より来る

メンバーズ・エッセイ
撮影:神永 剛

2024年8月1日 (No. 418)
深井 淳
深井 淳

今年の正月の五日昼過ぎ、家内が私に「誰か西高の人が玄関にいる」と怪訝そうな表情で告げた。西高とは私の出身校の都立西高校のことである。私が誰だろうと玄関の扉を開くと、何と高校1年の時Hクラスで一緒だったHO君であった。「おう元気だったか?」と思わず走り寄り抱き合った。

友有り遠方より来る(深井 淳)

彼とは高校時代こそ文系・理系の違いもあり、1年の時しか友達づきあいはしていなかったが、卒業後も大学時代5、6人でしょっちゅうドライブやスキー等でじゃれ合っていた仲である。大学時代は年がら年中2、3人で拙宅に入り浸たり、よく寝泊りもしていた。母や姉とも懇意にしており、特に姉の熱烈なファンでもあった。

だが何故かこれら高校時代の悪友達とは私が社会人になると同時くらいに、全く交流が途絶えた。私も結婚式には誰も高校の友人を招待しなかった。だが1Hで学級委員をやっていた我々の仲間の一人であるHA君だけはどこから聞きつけたのか、我々の二次会に顔を出してくれた。

友有り遠方より来る(深井 淳)

玄関先でHO君曰く、「HA君が1Hで仲良かった皆に声を掛けてクラス会を開くのだけど深井も来ない?」私は「もちろん参加する」と即座に返答した。

クラス会は12名ほどで3月30日の日程だったが、我々はその日を待ちきれず、HO君のほか、SU君、YAさん(女性)と4名で「クラス会実行準備会」と称して、月1回のペースで酒を飲みながらHO君の自宅でカラオケ会を開いた。みな年齢は初老であるものの、一旦酒を酌み交わし、昭和歌謡を歌うと高校1年生に戻った。

友有り遠方より来る(深井 淳)

まもなく3月のクラス会の日になり、青山のおしゃれなレストランを訪ねると、高1の頃皆で学校行事の後、コンパと称し吉祥寺のパブで集っていた男女12名に再会できた。この日ももちろん二次会はカラオケであった。昭和の曲でないと歌わせて貰えなかった。面白いことに43年の空白時間を飛び越えて15、16歳まで一気に若返ってしまった。

メンバーは多士済々。プライム上場企業の取締役もいれば、税理士法人の代表もいて、中にはメガバンクから上場企業へ役員として天下りし、早々に辞任し悠々自適にゴルフ三昧の日々を送っている者もいる。家庭環境もそれぞれ違い、3人目の配偶者と暮らす者もいれば、奥さんと早々に離婚して現在改めて婚活中の者、女性で3人の孫がいる者、30過ぎで女医さんになりその後再婚した者もいた。

友有り遠方より来る(深井 淳)

とにかく懐かしい、楽しい。この40数年ぶりの出会いの素晴らしさを、1Hのなるたけ多くの人に共有してもらうためにも「クラス会実行準備会」は新たな使命を帯びた。それは即ち連絡のつかない仲間の消息を辿り、連絡をとり、現在リニューアル中の同窓会館においてより大人数で旧交を温め合う会を企画・開催することである。

それにしても未だに腑に落ちないのが、何故大学4年まで仲良かった6人組が忽然と音信不通になったかである。それは個人的にはトラウマであった。大学卒業後社会人になってから「自分があのときアイツにあんなことを言ったからか?」「みんなのクラスのマドンナの女の子に自分がちょっかいを出したからか?」等々様々な憶測を巡らしてきた。

友有り遠方より来る(深井 淳)

だが、いずれも腑に落ちなかった。今思うに皆社会人になり、新生活が始まり、忙しくなり、他人のことにかかずらわってられなくなったのではないだろうか。私含め皆色々と抱えている中で不義理をしている。それが人生であろう。四十数年の年月がそれらの贖罪をしてくれたのだと思う。今度こそこの貴重な契りを大切にしたいと思っている。今度「HO君、訪ねて来てくれてありがとう。今度は行方知らずになっているNI君を二人で訪ねにいこう。」と言いたい。

以上

ふかい じゅん(1419)
(元 三菱総合研究所)
(企業ガバナンス部会、理科実験、環境部会、映愛会)