私が長く勤務してきた広告代理店(advertising agency)という業種は、昨今評判がよくない。過労死するほど働かされたり、オリンピック界隈での不正取引が取り沙汰されたりと、様々な事業を「仲介」することで荒稼ぎをする仕事だと思われがちだ。
ビジネスにとって、その存在の必要性が怪しい仕事を、アメリカの人類学者デヴィッド・グレーバーは「ブルシットジョブ」(bullshit jobs、クソどうでもいい仕事)と呼んでいる。
広告代理店はもちろんのこと、やり玉に挙げられているのは、弁護士、ロビイスト、広報調査員、保険数理士、テレマーケター、リーガル・コンサルタント、ビジネスコンサルタントなどのホワイトカラーの人々である。
また、グレーバーによると、この「ブルシットジョブ」は「シットジョブ(shit jobs)」とは異なるのだという。「シットジョブ(クソな仕事)」は世の中に必要とされるエッセンシャルワークであるにもかかわらず低賃金の仕事を指している。つまり、我々広告代理店の仕事はさして社会に必要でもないのに高収入の仕事だと言われているわけだ。
実態的には、単に「仲介」しているだけではない。ただし、20世紀の広告代理店の営業部門は「連絡局」と名乗っていた会社も少なくなかったことが象徴しているように、テレビ局や新聞社などの媒体社と広告主を結ぶ橋渡し役を主な業務としていたことは否めない。ある意味排他的に「仲介」して、マージンを抜いていた。
そう、20世紀の agency はまさに「代理業」だったのだ。一般消費者や多くの企業にとって、情報やコネクションがない社会にとっては、「仲介」してくれる存在は意味があった。そして、20世紀末からのネット社会の到来。もはや「代理業」は要らないと言われ始めて久しい。代理業が仲介してくれなくても、ICT社会は消費者や企業に十分な情報を提供し、誰もが接続しあえる。
今では、ネット広告は一般消費者でも直接買える。旅行も同様にわざわざ旅行代理店に頼まなくても、鉄道のチケット購入もホテルの予約もネット経由で済むようになった。いわゆる「通販型」という保険市場も飛躍するなど、確かにかなりの領域で agency は駆逐されている。
広告代理店の社員は、自らのビジネスを自虐的に「虚業」と呼ぶ。他人の商品やサービスを宣伝し、販売促進を手伝うことを生業としているが、「自分たちの実業」を持っているわけではないからだ。
「ああ、つまらん、長い間働いてきたのに何も残っていない」と、正直なところ、私のような「代理店マン」が時折そう感じるのは嘘ではない。agency(代理業)や agent(代理人)はもう必要のない存在なのだろうかと。
ここ数年、半ばウツウツとしながら、そんなことを考えていたところ、驚くべきことを最近知ることとなった。
これは私の言語スキルの低さにも依るため、反省するばかりであるが、なんと agency という言葉はもともと「行為、働き、主体性、起動因」という意味だという。「代理」という意味が使われ始めたのは、比較的後世のことらしい。
映画『ミッションインポッシブル』のトム・クルーズもエージェントであるし、ドラマに出てくるCIAの諜報員もエージェント、『ボーン・アイデンティティ』のマット・デーモンも記憶をなくしたエージェント、『マトリックス』で敵役の黒スーツの男も「エージェント・スミス」である。ヒット映画は「エージェント」だらけである。なぜ彼らは「エージェント」と呼ばれるのか疑問に感じていたが、今更ながらこのことを知り納得した。彼らは国になり代わって世界を股にかけて活動する「行為者」「活動者」なのである。単なる「仲介者」や「代理人」ではない。だからアクション映画にもなりやすい。
特に『マトリックス』に登場するサングラスに黒服の「エージェント・スミス」は、仮想世界(マトリックス)を監視するプログラムという主体的な側面と、現実世界と仮想世界、肉体とプログラムを仲介する役割として多義的に描かれている点が興味深い。
そして、少々話は飛ぶのだが、先般の「地域デザイン総合研究所」の勉強会において牧野篤先生の資料に引用されていたOECDの提言のひとつは『Student Agency for 2030』(2019年)と題されている。Googleの自動翻訳では「学生代理店」などと誤訳されるが、内容を読めば「学生の主体性」を指していることがわかる。つまり、今までのように「教師=一方的に教える人 vs. 学生=受動的に教わる人」という管理的な教育構造では、今後の世界経済の発展は望めないのだと、OECDが警鐘を鳴らしているということだろう。
そう、この場合の agency は、代理業ではなく「主体性」である。概念の厳密性を問うならば「当事者性」と訳した方がさらに的確ではないかと私は考えている(教師と学生、どちらかが主体/客体という意味ではなく)。
つまり、20世紀の agency は「代理」となって、商流のトラフィックを増やすことで利益を上げることに注力してきたが、21世紀の agency は、改めて原義である「主体性、当事者性」を意味する存在になっていく必要があるということだろう。そう考えると、agency も満更悪くない、自らも本当の意味での agent になるべきだなと、反省とともに心を新たにするこの頃である。
すがや まこと(1458)
(日本ブランド経営学会理事 株式会社東京アドエージェンシー)
※岩林誠さんのDF会員登録は本名 菅谷 誠会員