新橋・美「酒」礼讃

メンバーズ・エッセイ
撮影:神永 剛

2024年4月16日 (No. 411)
宮武 里美
宮武 里美

忘れられない光景

日経平均株価が最高値をたたきだした1989年。その頃、辛うじて20代だった私は、会社が日本橋三越前にあったのもあり、同僚数名と、神田や日本橋界隈の老舗や路地裏の店巡りを女子会と称してしていました。

ある日のお目当ては、神田「まつや」。池波正太郎も愛したと言われる名店。「蕎麦前なくして蕎麦屋なし」の名言に後押しされ、仕事を定時で切り上げてタクシーで駆けつけたのでした。外はまだ明るい初秋の夕暮れ。老舗の佇まいに若干たじろぎながら暖簾をくぐり、花番さんと言われるホールの方にテーブル席に案内されました。

私たちがメニューを見ながらあれこれ迷っていると、シンプルで上質なスーツを着こなし、髪をすっきりとまとめた妙齢の女性が入店してきました。常連とみえて、店の人と軽く挨拶をかわして座ると、ほどなくお銚子と小鉢がすっと運ばれてきたのでした。女性はお銚子をゆるりと傾け、小鉢のそば味噌をつまんでいます。しばらくして、天ぬき(天ぷら蕎麦のそば抜き)が置かれると、彼女は暮れる日を待つように、ゆっくりと盃を重ねていました。その静かで流れるような所作や、花番さんとの阿吽のやりとりは、なんとも粋で、一朝一夕では獲得できない格好よさでした。まだ女性が独りで呑む姿がレアな時代の一コマ。その光景は、30年以上たった今でも記憶に残っています。

私たちは、彼女の大切なひと時を邪魔しないように、普段の黄色い声をトーンダウンして静々とつまみとお酒を頼み、蕎麦を食べて店を後にしたのでした。そして、いつか彼女のように一人で「粋」に蕎麦前とお酒を楽しめるような年のとり方をしたいねと話したのでした。

果たして、30数年後…。

日経平均株価が、再び高値を更新し、2024年3月には4万円を超えた日もあった現在、還暦を越えた私は、残念ながら「粋」な風情は全く身に着けることができずにいます。しかしながら、楽しくお酒は飲めています。一緒に行く仲間もいます。一人でふらりと呑むことも(敷居の高い店は無理ですが)物怖じしなくなりました。今の姿を、あの時のお姉さまは許してくれるでしょうか。

「新橋」は未知の聖地でした

新橋の夜の入口

さて、こんな図太くなった私にも、乗り込めない聖地がありました。それは「新橋」です。あえて昭和の言い方をすれば「サラリーマンの聖地」。かつての上司が新橋経由で帰る人が多く、新橋のディープな飲み屋街の話を楽しそうに話すのを聞いていたのもあり、私にとっては、憧れの界隈でした。

新橋といえば、テレビが「ニッポン人の今」のリアルな声を撮りたければ、駅前のSL広場にカメラが向かうというイメージです。日本の「常識」や「正義」のコメントが撮れる「新橋」。そして、普段は正しいサラリーマンが、ほろ酔い気分で「本音」を吐露するのも「新橋」…。新橋が担う役目は大きいなと、数年前まで遠くから眺めるだけでした。

「憧れるのはやめましょう」ホームを目指す道

私がDFに入会したのは、コロナ禍真っ只中のことでした。入会当時は、会員のみなさんとはマスク越しが殆ど。新橋周辺も怖いくらいひっそりとしていまいました。唯一、2カ月に1度開催された「日本酒文化研究会」の例会と、その後の懇親会で、メンバーのみなさんの笑顔や声に接することができ、新橋の夜を味わうことができました。

アフターコロナの今、新橋は活気に溢れています。昔に比べたらチェーン店も多くなり、並ぶ店も入れ替わり、その風情は以前と違うものになっているでしょう。しかし私にとっては、ようやく「縁のある地としての新橋」となったことが、とても嬉しいのです。DFの事務所に行った際には、路地を探検して帰るのも楽しみのひとつです。おのぼりさんよろしく、看板を見上げ、スマホを見つめ、前を見ていないと転ぶぞと自ら突っ込みながら路地に迷い込んでいます。駅前ビルの飲食店街も、なんともゾワゾワと妖しくていいですね。

新橋ビギナーからのお願い

<醸す会>まごころいし石井にて
<醸す会>まごころいし石井にて

以下は、新橋デビュー間もない私が「いいな」と思った店を紹介します。お読みいただいて、「こんな店があるよ」とお勧めしていただけることを期待しての「下心」有です。

1件目は、日本酒文化研究会〈醸す会〉でお世話になっている「まごころ いし井」。解説つきで日本酒を勧めてくれ、料理も美味しく居心地がとてもいいです。女性客やグループ客が多いのも納得です。

東京立ち飲みバル(by店)
東京立ち飲みバル(by店)

次は、ランチも美味しい「ビーフン東」。ビーフンと中華チマキが有名ですが、何を食べても美味しく、他にはない雰囲気も気に入っています。帰りがけ、チマキをテイクアウトすることも。

野崎酒店
野崎酒店

3件目は「野崎酒店」。狭い店内に、客も日本酒もひしめき合い、酒好きのココロをくすぐるメニューが壁を埋め尽くしています。日本酒愛がぎゅっと凝縮された店です。

最後は、熊本の「堤酒蔵」のアンテナショップ「東京立ち飲みバル」。焼酎はもちろん、熊本や五島列島のご当地食材が豊富。立ち飲みといいながら椅子もあります。お勧めは数量限定「極上堤」。ブランデーのように芳醇です。DFの事務所から徒歩約2分。アフターDFの「軽く一杯」にいかがでしょう。

これからも、DFがある限り、私の新橋探検は続きます。一緒にダイブしてくださるという方、是非お声がけください。よろしくお願いいたします。

以上

みやたけ さとみ(1375)
(日本酒文化研究会、観光立国研究会)
(元 I&S BBDO)