私が米国NYに住むようになってから40年を超える。今年は長い間のコロナ禍から解放され久しぶりに日本に帰国した。郊外にある娘の家に居候し、春、秋の2回各々3カ月近く滞在し、年寄りにとって日本と米国が毎日の生活をする上であまりにも異なることを痛感させられた。そのエピソードのひとつを以下紹介したい。
日本滞在中も朝8時に起きることを日課とするが、年寄りにとってはその日の特別な予定はない。ぶらりと外に出て、辺りを散策する。まずは朝食、近くの喫茶店に入り、モーニングスペシャルを注文する。コーヒー茶碗に入れられたブルーマウンテンのブレンドとゆで卵、それに食パンがついて540円。ドル換算では3ドル70セントだ。ゆったりとしたソファーに腰を下ろし、静かなクラシック音楽を聴きながら、備え付けの新聞に目を通す。窓越しに外を見ると背広や学生服を着、楽しそうに談笑する通勤通学の男女や子供たちが行き交う。赤信号を渡るものはいない。皆辛抱強く信号が青に変わるのを待っている。ニュヨークではそのような人は例外だ。なぜだろう。そういえば日本人の名前にしのぶ(忍)ゆずる(譲)たえこ(耐え子)などがあるのを思い出した。アメリカ人が日本式に名前を付けるとしたらさしずめ "Happy" "Lucky" "Jump" "Win" といったところだろう。1時間ほどお邪魔し支払いをすますと、“有難うございます”と店員からの笑顔。値段にしては格段のサービス、お礼に“今日のコーヒーおいしかったよ”と感謝の気持ちをつたえる。店を出て、帰宅途中のコンビニで週刊誌を立ち読みし、ただでは申し訳ないので見返りにプラスチックボトルに入った水を買う。“今日一日のスタートとしては悪くないな”と思いながら帰宅する。
3カ月ぶりにアメリカの我が家に戻る。ニューヨーク郊外、小室圭氏も住むこととなったウェストチェスターの家の大きさは日本の5倍はある。一階にも二階にも風呂が備え付けられており、トイレは4つ、地下には卓球台がある。コンドミニアムの敷地内には住民が共同で使えるプールとジムもある。あたりは森に囲まれ、アヒルやガチョウ、リスやシカはおろか、時にはコヨーテ、七面鳥、ビーバーも見かける。帰宅した安堵感に浸るがそれは一日だけのことだ。
次の日は時差ぼけにも拘わらず8時に起床、今日一日の予定を考えなければならない。まづは朝食を取ろうと、“喫茶店、ファストフード、それともダイナーでの食事”か、いくつかの選択肢を考えた末に、近くのコーヒーショップに行くことに決める。場所を確認し、店のあるモールに向かう。近くといっても車で10分、ビルの駐車場に車を止めて、ライセンスプレートを登録の上、駐車料金4ドルを支払う。ようやく店にたどり着くと、店には客が並んでいる。 "Next" という大声と共に順番が回ってくるが、何を注文したらよいか準備ができていない。店員に情報を求めようとするとイライラされる。“ひとの店に来るのにその店の品ぞろえも分かっていないのか”といった態度だ。後ろに人が待っているのでグズグズしてはいられない。急ぎ Medium Size のコーヒーと、ガラスケースの中に陳列された菓子パンを "This one, this one" といって注文をし、その場で受け取りテーブルにつく。コーヒーは紙コップに収められており、砂糖で固められたような菓子パンは小さな紙袋に入っている。かかっている音楽はラップだ。値段は8ドル、日本の倍以上である。サービスはマニュアル化、デジタル化されており無駄がない。人件費を抑え効率的にコーヒーをデリバーするという本来の目的に向かってまっしぐらである。10分ほど滞在しそそくさと帰宅する。帰りは朝のラッシュにぶつかり、信号も3回待ちとなる。家に戻り、無事朝食を終えたことができた達成感と安堵感に浸る。
これは朝方のほんの1–2時間の出来事だが、昼も夜も日米の違いに本質的な相違はない。郊外ではなく、マンハッタンやブルックリンでの生活も、家の近くに店があるというだけで、日本とは全く異なる。
若いころはアメリカ社会に骨を埋めるといって粋がっていた多くの日本人の友達が、年を取ると判を押したように日本に戻ってくる。年寄りにとっての居心地の良さは、国民皆保険、介護保険等を含む国のセイフティーネットなどにも表れているが、それよりも、長い年月を経て培われてきた文化、慣習をもとにした人と人との繋がり、他人に対する心づかい、笑顔で接することの大切さ、礼儀正しさなど、社会の非効率さを補う多くの付加価値があるように思われる。
単に効率的に生きるといったことに加え潤いを与えてくれる日本の社会を、外国に住む日本人だけでなく、日本にいる皆さんも一つ見直してはどうか?
あきやま たけお(1417)
(弁護士 元 丸紅)