
この言葉は、れっきとした魚の名前です。おわかりになる方はおそらく山口県の方だと思います。金太郎は「ヒメジ」のことで、日本海でとれる赤くて髭のある魚です。デジタル大辞泉プラスには「ヒメジの山口県近辺での呼び名」と出てきます。体長は20センチほど、大きいものは30センチ程度にはなります。
子供の頃は大量に獲れて、魚屋さんのトロ箱にあふれていました。骨が固いのですが骨が取れやすく、小骨も少ない白身の魚なので、塩焼き、煮付け、フライにして食べていました。今は漁獲高も減ったせいか、山口宇部空港の売店では一夜干しを冷凍にして売っています。
一夜干しも、焼いて食べると大変に美味です。萩の「道の駅萩しーまーと」では、山形のアルケッチャーノのシェフ奥田政行氏が監修したオイル・ルージュ(オリーブオイル漬け)として売られています。山口県民にとってはとても懐かしいソウルフードです。
しかしながら、国際的な魚でもあります。ある時出張で訪れたミラノ(いつも、「本当に出張なんですか。」と家内に言われてました)の海鮮レストランに行きましたら、なんと氷の上に「金太郎」が並んでいて、びっくりしたことがあります。そういえば、バルセロナのレストランにも並んでいたように記憶しています。
一方、平太郎ですが、私共は、子供の頃(山口県防府市では)「じんがめ」と呼んでいました。各地でいろいろ呼称が変わるようで、一般的には「ヒイラギ」と呼ばれる小魚です。港の防波堤からサビキ釣りをするとすぐに釣れる10センチほどの小魚です。こちらも骨が固く、身も少ないので、フライにして食べるくらいです。
ある時、ゴルフ帰りに千葉県姉ヶ崎の居酒屋に立寄った時に、当日お勧めの黒板に「ギラの煮付け」とありました。何だろうかと注文してみるとまさにこの「じんがめ」の煮付けでした。この辺も食べるのかとなんとなく郷愁を覚えました。
しかし、私の記憶に残る食材は、じんがめの一夜干しです。鮮魚では10センチほどあるものが、一夜干しにすると3~5センチほどになってしまいますが、きれいな銀色と模様は残ります。子供の頃、冬になると店頭にてんこ盛りにおいてあり、量り売りで紙袋に詰めてもらいました。非常に安価であったと記憶しております。冬ですから、暖を取るために家には練炭火鉢が置いてありましたが、これに金網をのせてちょっとあぶるとおやつになり、ご飯のおかずになり、また大人のお酒のおつまみにもなりました。こちらもまた漁獲高が減ったせいか、山口宇部空港の売店では、一夜干しを冷凍したものをいつも売っています。
なぜ、「平太郎」というようになったかは不明ですが、就職して、宇部市に在住していた折には、当地の居酒屋で、「平太郎」と呼んでいました。「金太郎」に対抗して平たいので「平太郎」なんだと聞かされたことがあります。私が育った山口県防府市は、瀬戸内海に面し中央を佐波川が横切っておりました。また、物流が良かったせいか、瀬戸内海だけでなく佐波川の川魚に加えて、日本海、そして東シナ海の幸が豊富でした。おかずはほとんど魚介類で、肉と言えば鯨肉でした。
春は、桜鯛の湯引きの御造り、潮汁、鯛の真子を薄口しょうゆで煮付けたもの、メバルやカレイの煮付け。夏は小エビの塩ゆで、鮎の「せごし」(「せごし」とは、丸ごとの魚の身を骨付きのままななめに薄くぶつ切りにしたもの)や塩焼き。鱧しゃぶ。剣先イカの御造り。ゆでだこの御造り。アナゴのつけ焼き(西日本はほとんど焼いて食べます)
秋は秋鯖の御造り、秋鯵の塩焼き。コノシロのネギ味噌はさみ焼き。ワタリガニの煮付け。冬はぶりの煮付け、おばいけ(鯨の脂身のこと)を大根と一緒に炊き込んだものや、イイダコの煮付け等々。美味しかったものが記憶によみがえります。
「あなたの体は、あなたが食べたものでできている」というコピーがありましたが、私どもの体はこうした魚介類からできているのでしょうか。それにしても、海洋汚染や乱獲により昔懐かしい食材が食べられなくなるのは悲しいことです。私は自然を守るだけでなく、食文化を後世にも残していきたいと常々考えております。
やまさき てつや(1407)
(元 宇部興産)
(理科実験G)