( 2018年3月1日 掲載 )
1月29日(月)学士会館で、175回講演交流会が45人の参加者を得て15時から開催されました。講演会はNPO法人STAND代表理事伊藤数子氏に「すべての人が好きなスポーツをする社会へ」というテーマでご講演頂きました。今回はDF会員の高田弘治さん(会員番号1093)のご紹介です。
1991年金沢市にて企画会社パステルラボ設立。代表取締役。2003年から電動車椅子サッカーなど競技大会のインターネットライブ中継を開始、誰もが明るく豊かに暮らす社会を実現する「ユニバーサルコミュニケーション活動」のため2005年NPO法人STANDを設立、パラスポーツ事業を本格始動させる。「総務省u-Japanベストプラクティス」ほか多数受賞。現在、ウェブサイト「挑戦者たち」の編集長として障がい者スポーツの魅力を配信。また、スポーツイベントや体験会も開催。
2014年にはボランティアアカデミーを開講。スポーツ庁スポーツ審議会委員、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会顧問、総務省情報通信審議会専門委員、日本パラリンピアンズ協会アドバイザーなども務める。
講演内容は以下の通りです。
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初めてのネット配信は2003年に体調が原因で金沢の予選を勝ち抜きながら、大阪の全国大会に参加出来なかった一人の電動車椅子サッカー選手に見てもらいたくて始めました。しかし中継会場では、重度障害者の姿をインターネットを介して、多くの人に見てもらうことへの非難がありました。
現在でも配信ごとに「ありがとう」と「さらし者」の批判の声が届けられます。然しながら、私はパラスポーツが知られることで少しずつ社会が変わってほしいと願って、不退転の決意で配信を続ける事にしました。
ウェブサイト「挑戦者たち」の運営。パラスポーツの総合ウェブサイトで、障害者スポーツをスポーツと捉えその魅力を伝える事を目的としています。
ローマ大会を第1回、東京大会を第2回とし、順調に発展しています。日本からは積極的に参加。最近の状況は以下の通り。
パラリンピックはローマ大会が第1回で、傷痍軍人のリハビリの為に、イギリスの医師により世界に提唱されました。
東京大会の出場選手の経験談です。
日本では、当時の障害者は殆どが施設か病院に入っていて短命だったそうです。その選手は大分の病院に入院中でしたが、そこの医師がイギリスに留学しパラスポーツを知っていて、パラリンピックへの参加を勧めました。一念発起し、出場しました。選手村で各国の選手と交流して彼らが、家庭を持ち、仕事をし、スポーツを楽しんでいる事に衝撃を受け、大会後、車の免許をとり、仕事に就き、家庭も持たれたそうです。
日本においては、東京パラリンピックはパラスポーツにとっての大きな転機となり、そして翌年、日本身体障害者スポーツ協会が設立されました。
東京パラリンピックのレガシーは障害者の自立でしたが、2020年パラリンピックの目指すものは共生社会の実現です。
共生社会にはすべての人が好きなスポーツを「する」「見る」「支える」も含まれていると考えています。
障害者のある人にどうやって声をかけたら良いか迷う必要はありません。金沢電動車椅子サッカーメンバーの一人はパラスポーツをする様になってから人生が「モノクロからカラーになった」と述べておられます。人生がカラーになる人が一人でも増えるように願っています。
STANDサポート会員を募集しています。目的は障害者スポーツのWEB中継を拡大し、ファン・理解者を拡大する事にあります。会員特典はウェブサイト「挑戦者たち」の社名ロゴ掲載、STAND主催イベントへの優先ご招待等です。何卒、スポーツを通じての、共生社会実現にご支援頂ければ幸いです。
以上
(岡村正郎・記 三納吉二・写真)