(06/13/2013 )
資源に乏しい物づくり大国であり、貿易によって生きている先進工業国ドイツにおいて、福島事故の直後に行った脱原子力決定への背景に何があったのか。2000年以来の取材に基づいてお話しをしたい。
福島事故の2011年3月11日の4日後に、連邦政府は原子力モラトリアムを発令した。80年以前に運転を開始していた7基と、トラブルで停止していた1基の併せて8基の原子炉を完全に停止し、廃炉とするものである。3月26日に25万人による反原子力デモが行われたなかで、極めて保守的で、キリスト教民主同盟が59年間単独支配していたバーデン・ヴュルテンベルク州の州議会選挙において、緑の党が得票率を倍増させ州首相の座に就いたことは、重要な意味を持っていた。この結果、福島事故のわずか4か月後に連邦参議院は、原子力法を改正し2022年末までに全ての原子炉を止める決定をした。日本との速さの違いに驚いた次第である。
メルケル首相は、原子力に関する専門家により構成された原子炉安全委員会に、わずか2か月の猶予をもって耐久性調査・ストレステストを命じた。一方、原子力の専門家は一人もいない、哲学者、社会学者、宗教関係者による倫理委員会には、原子力・エネルギーのリスクに対する文明論的、倫理的見地からの提言を求めた。
原子炉安全委員会の提言書は、ドイツの原子炉は優れた耐久性を有し、直ちに止める理由は無いとし、廃止すべきとは1行も書いてない。それなのにドイツは全原子炉の廃止を決めたのである。
倫理委員会は、元環境大臣、原子力のリスクに警鐘を鳴らしてきたリスク社会学者、カトリックおよびプロテスタント教会の関係者など、原子力に批判的な人々で構成されており、唯一経済界の代表は1名であった。電力業界の代表は入っておらず、公聴会における意見発露のみであった。
提言書は、原子力のプロによるリスク査定は信用できないとするものである。福島事故は、原発の安全性についての専門家の判断に対する信頼を揺るがしたことを強調し、原子力のリスクそのものに変化は無いが、受け止め方が大幅に変わってきたと主張している。
福島事故は、想定外の事故が起こり得ること、それに備える人間の能力に限界がることを示した。ハイテク大国の日本で起きたことの意味であり、ドイツに大きな影響を与えたチェルノブイリ事故は共産主義国、社会主義国で起きた事であり、西側の先進工業国では起こりえないと国民を説得ていたのである。にもかかわらず、完全主義でカッチリした東洋のプロイセンとみる人もいる日本においてすら、原子炉の安全を制御できなかったことに大きなショックを受けた、としている。
また、最悪の損害額が正確に把握できないので、想定される最大の損害額に発生頻度を掛ける数式によるリスク分析は無意味である、と結論付けている。
メルケル首相は、元々は原子力推進派であり、東ドイツの物理学者として放射線を日常的に扱っていて、原子力は平和的に利用できると考えていた。環境大臣の時、緑の党の反原子力には理解できないと云っていた。その首相が2011年6月2日に、原子力に対する考え方を変え、連邦議会で次のように演説した。
「福島事故は、全世界にとって、私にとって強い衝撃を与えました。人々が事態の悪化を防ぐために海水を原子炉に注入するのを見て、"日本ほど技術水準の高い国も、原子力のリスクを安全にコントロールすることができない。"ということを理解しました。」
彼女は、国民の目の前で原子力のリスクについての考え方を間違えていたことを認めたのである。
物理学者としてのリスク判断もあるが、政治家としてのサバイバル本能である。福島事故の映像を見て、また、バーデン・ヴュルテンベルク州の州議会選挙の結果を見て、このままでは、社会民主党と、唯一党創設以来原子力に反対している緑の党に、選挙で負けると察知したのである。以来、全政党が反原子力派に転向した。
福島事故以前に既に半数を超える市民が脱原子力を望んでいて、福島事故によりそれが急激に増え、以後、71%の市民が脱原子力に賛成している。一般市民もチェルノブイリ事故以来、原子力に批判的であったのである。
福島事故の直後ほど、日本について集中的に、大量に報じられたことは無かった。
多くの人々が、チェルノブイリ事故によるバイエルン州を中心に起きた土壌のセシウムによる汚染を思い起こし、放射能測定器やヨード錠剤が売り切れとなった。また、ドイツでは、NHKの安心報道(不安感を煽らない。未確認情報は流さない)ということに配慮無く、未確認情報も流されていて、日本よりも早く第1原発建屋の爆発などを見ることができた市民は、政府が本当のことを発表しているのかと、強い不信感を抱いていた。
日本と異なり、1970年代から原子力に対し激しく論争されてきた。最初、ブドウ栽培農民が原発設置に反対した。原発反対運動が各地に拡大し、日本では無かったことだが、地域ごとの反対運動が社会運動に発展していった。イデオロギーに関する闘争となり、保守派が原子力支持、リベラル派は原子力反対となり、更に、冷戦の真っただ中ドイツが核戦争の舞台になるという意識から、原発反対運動と核兵器反対運動がセットとなっていった。
緑の党が脱原発へ大きな役割を果たした。いまや支持率15%の第3の党となった緑の党は、実務派が過激派に勝ち、シュレーダー政権に参加し、環境問題、エネルギー問題を担い、再生可能エネルギー拡大と原子炉廃止に突き進んでいった。原子炉廃止の路線を最初に敷いたのは、シュレーダー政権であり、そのうちの緑の党である。
2002年に脱原子力法が施行され、原子炉の最長稼働年数を30年余りに限ることが定められた。日本の電源三法のような多額の補助金が地方自治体に入るという制度は無く、マスコミは大半反原発である。地球温暖化への懸念から、2010年には最長稼働年数を平均12年延ばしていたのである。
連邦環境省が、経財省とは独立した機関として原子力規制を担い、州政府の規制機関が原子炉運転の許認可を行う。それぞれに大きな権限が与えられて、厳しい規制が行われている。
森に棲んでいたと云われるゲルマン人を祖先に持つドイツ人にとって、美しい自然環境を享受することは、空気や水と同じ不可欠なことである。チェルノブイリ事故による環境汚染を経験している。
新しい技術・科学技術に対する不信感が強い。例えば、ドイツで考案されたリニアモーターカーは、電磁波を恐れ開発していない。また、リスク意識が高く自分の健康や安全についての影響を一番に心配する傾向がある。
2011年通年で輸出超過にあり、再生可能エネルギーの拡大により、2012年には輸出超過が4倍に拡大している。ドイツの国別の電力輸出入の状況は、オランダには輸出超過であるが、デンマーク、チェコ、フランスには輸入超過が大きい。
75%を原子力によるフランスの電力を使っている矛盾を自覚している。EUは、ヨーロッパ全域を単一市場にし、各国間の輸出入取引を拡大して電力の安定供給を確保することを目指しており、ドイツはフランスからの電力を拒否しえない。また、エネルギー政策は国家の安全保障に係る問題であり、フランスに脱原発を要求することもできない。
EUの指令で1998年に、大小口の需要家だけでなく一般消費者も電力会社を変えられる電力市場の自由化がなされた。1000社に及ぶ電力販売会社があり、その大半が地域電力販売会社である。また、欧州は50ヘルツに統一されていている。
EU委員会から、発送電分離が行われていない。託送料金が高すぎる。と英国やスカンジナビア諸国に比して自由化が遅れていると批判されていた。
再生可能エネルギーの拡大は、洋上風力電力を北から南に送る高圧送電線網の敷設への多額の投資を要し、送電ビジネスの旨味が消えた。この工事が住民の反対で遅れている。
総論賛成、各論反対のメンタリティーを変えなければ、エネルギー革命は成功しないと云われている。
助成金や託送料金が頻繁に引き上げられるため電力料金が安くなったという実感は無い。電力会社を変えると10%から20%ほど安くなると云われているが、割安の販売会社は倒産するリスクがある。
意思表示をし易くなったことは、自由化の大きな成果である。グリュンメル原子力発電所で変圧器の火災が発生した際、危険度「ゼロ」とはいえ、事故に係る情報の一部を隠した電力会社に抗議して20万人の市民が購入先を変更し、ボイコットした。
脱原子力はドイツにおける建国以来最大のエネルギー革命の氷山の一角に過ぎない。脱原子力、温室効果化ガスの大幅な削減、再生可能エネルギーの拡大、大幅な省エネがドイツのエネルギー革命である。
再生可能エネルギーは2011年に原子力を抜いて、2012年には全体の22%を占めている。連邦政府はこれを2050年までに、外国からの電力輸入を含めて80%にすることを目指している。例えば、ミュンヘン市のSWA社は、投資先の北海、バルト海等の洋上風力電力の輸入を含めて、2015年までに家庭向け電力供給を100%再生可能エネルギーにするとしている。
太陽光発電は、助成金の半分をつぎ込みながら、いまだ5%にも達していないため、効率が悪く批判が高まっている。
2022年予測は、再生可能エネルギーが2010年の35.6%から59.3%にまで増える。原子力は無論ゼロとなり、石炭・褐炭は再生可能エネルギーのバックアップ用に維持される。
再生可能エネルギーでは、洋上風力が0.1GWから13GWに増える。
助成金を負担するのは電力消費者であり、再生可能エネギー助成金は13年間に13.6倍に増大し、10兆6千億円相当の資金が注ぎ込まれてきた。家庭向けの電力料金も過去12年間に74%も増大した。ある州では、2011年に20万人の人々が料金を支払えずに供給停止となり、社会問題となっている。
メーカー向け料金負担はフランスの2倍にあたり、産業の空洞化が危ぶまれている。
助成金に歯止めをかけるとする改正案が、野党の反対から凍結されているが、廃案となり、来年も電力料金は引き上げられる見込みである。
電磁波、不動産価格の下落を心配する住民の反対により、建設が遅れている。
先のとおり太陽光発電への助成金は効率が悪い。ドイツの日照時間はギリシャ・クレタ島の2700時間に対し,1550時間にすぎない。
太陽光発電関係のモジュールのメーカーは、安い中国メーカーに押され、3分の2は倒産するといわれる。ドイツの助成金が中国メーカーを助成しているとの批判が起きている。
紆余曲折があっても脱原子力、再生可能エネルギーの拡大という基本方針は変わらないというのが私の印象である。ドイツ国民が持つ原子力への不安感・批判は根強く、脱原発を捨てる政党は選挙に負ける可能性が高く、そうしたことをする政党は現われないと考える。
ドイツ電事連は12年2月に脱原子炉に賛成すると声明している。
さらに、ドイツは先進工業国として、エネギー消費を減らしても経済成長は可能であることを世界に示すという野心を持っており、日本、アメリカとは全く異なる発想をしている。
Q:停止と廃炉とは意味が異なる。廃炉をどのようにしようとしているのか。
A:ドイツ国民の半数が原子力に批判的であったのは、廃棄物処理の場所と方法が確定されてなったことにある。1974年に連邦政府とニーダーザクセン州政府が、ゴアレーベンと云う岩塩鉱山を高レベル放射性廃棄物の最終処理場として調査すると突然発表した。シュレーダー政権下においてこれが凍結され、メルケル政権は今年の春、20億ユーロを費やして調査してきたゴアレーベンを白紙に戻し、他に適した場所がないか調査するとし、2050年の稼働を目指して、24名の連邦議員、州議会議員、宗教関係者、環境団体からなる一種の倫理委員会を作り、貯蔵場所を何処にするか、また封印するか否かを、民主的に決定して答申するよう求めている。
ゴアレーベンは東ドイツとの国境に接する辺境の地であったが、今やそうではない。新たな候補地が何処に決まっても、住民の反対が起きるであろう。低レベル・中レベルの放射性廃棄物が、ドラム缶にして2万本貯蔵されているアッセでは、そこに地下水が入り込み、地下で放射能汚染が起きている。他の場所に移動するにも数十億ユーロもの費用がかかる。
Q:ユーロ危機の長期的な景気停滞、シェールガス革命による天然ガス価格の低下等から、再生可能エネルギー拡大のコンセンサスは保たれるか。見直されるのでは。
A:コンセンサスは保たれると考える。一つには、欧州経済危機の影響は小さく、ドイツの一人勝ちにある。それと再生可能エネルギーのコストを補填する助成金が増え過ぎれば、国民の支持を失いかねないので、メルケル政権はそれに歯止めをかけようとしたが、今や緑の党や社会民主党も、電力料の40%を占める助成金と電力税や環境税の減税・廃止を打ち出している。従って、この9月にどの政党が政権に就いても、大企業への助成金や託送料金の軽減措置の撤廃がされるであろう。
みどりの党は、再生可能エネルギー拡大を始めた時に、コストが上がることは織り込み済みであり、料金を高くすることにより電力消費を減らすことを目的としている。
再生可能エネルギーの拡大は、経済的理由に依るものではなく政治的理由に依るものである。エコロジー型経済の実現、すなわち、エネルギー消費の削減と経済の成長を両立させることにある。
買取り価格と電力取引市場価格の差を補填するドイツの助成金制度にとっては、市場価格が下がることは想定外であり、シェールガスによる価格低下に対して、根本的に制度を変えることが問われている。
植生に与える影響では、増加している農地のメガソーラへの転換には、助成金を減らす措置を執っている。
ドイツはシェールガスに対してかなり消極的であるが、天然ガス価格はエネルギー革命の行方に大きな影響があり、留意する要がある。
Q:使用済み燃料棒の措置はどのように行われているか。どうするのが良いか。
A:ゴアレーベンには高レベル放射性廃棄物の最終処分施設の研究施設だけでなく、再処理済の使用済み燃料の中間貯蔵施設があり、フランスのラ・アラールやイギリスのウインスケールで再処理された使用済み核燃料が運び込まれていたが、地元の激しい反対を受けて、、今年の法改正とともにもはや搬入しないことが決まっている。その為、使用済み燃料が益々それぞれの原子力発電所に溜まっていくだけの状況にある。
電力会社が、ゴアレーベンに係る20億ユーロの支出に加えて、新しい処分施設の調査費20億ユーロの負担を求められることに強く反対している。
連邦政府の放射線防護庁が廃炉及び放射性廃棄物の貯蔵・処分を担当するが、いずれにしても、不透明な決定プロセスが行われないような形を担保しながら、今年から新しい処分場の調査が本格的に行われることになる。
以上(戸田宗男記)