2021/05/16(No.341)
木口 利男
“Dear Toshio. Sadly my lovely mother Patricia passed away today (Monday) at 3pm.
She was with her husband Jimmy, me and Ian. Very peacefully slipped away. Collin.“
今年(2021)の3月30日午前8時22分、Oxfordからの悲しい知らせが携帯電話に届いた。
Patricia(Pat)とは、47年前の3月に大学卒業を控えた私が1か月ホームステイした際受け入れてくれたOxfordのステイ先の母親だ。初めて海外渡航する私の不安を和らげるため、渡航前に自己紹介メールを送ってくれた心配りのある人だった。
家族は夫のJimmyと6歳のIanと3歳のCollinの4人家族、住宅ローン返済資金の一助として継続的に各国から短期ホームステイ学生を受け入れている家庭だった。Oxfordでの生活は学校で英会話の集合レッスンを受け、放課後はホームステイ先の家族との会話で英語に慣れるという短期語学留学だった。クイーンズイングリッシュを学ぼうと張り切って参加したが、ステイ先の主人であるJimmyは自動車工場の労働者で口数が少なく、会話の相手はもっぱらPatだったので共通話題が少なく会話維持に苦労した。
PatとCollinと私 自宅玄関にて
(1974.3)
ステイ中私は毎朝6時に起きて近隣をランニングするのが日課だったが、一日の汗を流すのはランニング後のシャワーで済ませ夜の風呂は入らなかった。というのも私がバスタブでゆったり風呂に入ると家族全員のお湯がなくなってしまうことに気づいたからである。食事も質素で1か月の間で牛肉が出たのは一度だけ、食卓にはベーコンやハムと毎日のようにベイクトビーンズが出てきたのにはがっかりした。今にして思えば夫の給料で、子供二人の養育費と住宅ローン返済を賄うPatのやりくりは大変だったのだろうと思う。しかしお茶の時間にはクッキーと共に、紅茶がさめるのを防ぐ為ティーコージーをかぶせたポットにたくさんの紅茶が入っていて、私が飲み干すのを見計らって“More tea ?”と勧められると“No Thank you”と言えず、結果として何杯も飲むのでお腹はちゃぷちゃぷ状態になる日々だった。
子供たちはフレンドリーですぐ仲良くなった。日本人のホームステイは初めてだったので良い印象を与えねばと思い、折り紙を教えた。新聞で兜を作って被らせると好評だった。こんな楽しい生活を1か月過ごし帰国した。大した英語力は身につかなかったが、Patの家族との生活体験で外人コンプレックスが解消されたことはその後の人生にとって価値のある経験だった。
帰国後も毎年クリスマスカードを交換して再会を約していたが、図らずも10年後にロンドン支店勤務の辞令が下りた。着任して生活が落ち着いた頃、車に日本土産を積んで訪問した。歓待を受けると共にホームステイ時にプレゼントしたトランジスタラジオを取りだし、今でも愛用していると見せてくれた。小さかった子供たちも学生となり任天堂のゲームに熱中していて会話には参加しなかったがPatとは昔話に花が咲いた。ロンドン支店在任の後半には私の家族を連れて訪問した。長女が6歳で長男が3歳、偶然だが10年前のPatの家庭状況と似た年回りになっていた。今度はIanとCollinがお兄さんになって我が家の子供達を遊んでくれた。
日本に帰国した後も毎年クリスマスカードの交換は続いた。いつも細かい、読みにくい癖字で近況報告と最後には必ず私と家族のことを心配するメッセージが書かれていた。Patはせっかちで12月の初旬にはカードが届く、私のクリスマスカードは年賀状感覚なのでどうしても送付が後半になってしまう。
16年前、父が12月に亡くなったので喪中欠礼のつもりでクリスマスカードを送らなかったことがある、すると1月に入ってすぐにPatから手紙が届いた、何事かと開封してみると「毎年クリスマスカードを送ってくるのに今年はまだ届かない、ひょっとして健康を害するような問題が起きているのではないか心配している」という内容の文書が書かれており、思いやりに感謝すると共に慌てて事情説明したことがあった。
PatとJimmy 自宅庭にて(2017.5)
Pat, Danny, Collin, Daisy 自宅前にて(2017.5)
5年ほど前からクリスマスカードで自分の体の不調を訴えることが増えてきたので早くもう一度会っておきたいと念じていたら、うまい具合に3年前にヨーロッパ出張の機会ができたのでイギリスまで足を延ばしOxfordの自宅を訪ねた。かつてお人形のようにかわいかったCollinはひげ面のおっさんに、孫のDannyも7歳になり大の日本ファンに成長していた。Dannyからは事前にポケモングッズをねだられていたのでポケモンショップでお土産を買いプレゼントしたら大喜び、早速ポケモン王冠を作って被った。
皆でPat手作りのサンドイッチを食べ、懐かしい紅茶を腹一杯ごちそうになった。Patは肺の調子が良くないとのことで散歩もままならず健康状態が気になったが、その日は30年ぶりに再会できたことを大変喜んでくれて、私の母が亡くなっていることを告げると「私はお前のイギリスの母だ、いつでも訪ねておいで」と言ってくれた。
彼女の健康状態が気になっていたので、それからは時折FaceBookのメッセンジャーでCollinに状況を聞いていた。虫の知らせか、(このエッセイを書く)3日前に英国のコロナの蔓延状況についてCollinに連絡をとったところ、Patが入院先の病院でコロナに院内感染して明日をも知れない状況だと返事があり、驚くと共に別れの時の心の準備をしていた。
これまで47年間一度も欠かさず届くPatからのクリスマスカードは我が家の風物詩だった。今年からはそれが届かぬと思うと寂しい限りである。私からの弔電に対しCollinが “Mum was so proud of you Toshio” と言ってくれたのは大変光栄である。Patは亡くなっても子のCollinや孫のDannyとFBでつながり近況報告しあえるのはありがたいことである。さようなら ”イギリスのお母さん“ 安らかに眠ってください。
きぐちとしお(886)DF企業支援アドバイザー
観光立国研究会 健康医療研究会 100歳総研 元富士銀行