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一般社団法人 ディレクトフォース

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 2019/11/01(No.304)

「24年ぶりのフランス旅行」

 ーー 2019.7.6~13 ーー

石河 正樹

筆者

2000年からお世話になったパソナ19年の勤務も一区切りとなった今年、さあこれからどうして過ごそうかと思案を始めた春3月ごろ、家族そろっての夕食時にテレビで見た南仏の風景が素晴らしく、久しぶりにフランス旅行もいいねと盛り上がり、全くもって勢いで、1995年以来のフランス行きを決めた。今どきはスマホで航空券の手配、現地の小さなホテルもネットで選んで予約ができる。旅行好きの長女がやってくれた。パリ直行便の最安値にLCCで挑戦しようと思ったが、高齢者にはきついフライトらしいので、80代トラベラーとしては思い切ってエールフランス、ビジネスクラスを選択。出発まで約3カ月の間、様々な書籍やネットでの情報収集を重ね、いよいよ出発する。

7月6日(土)

10時35分成田発AF275便、パリ シャルル・ド・ゴール空港経由、AF7708便にトランジットで90分、同日夜19時45分無事ニース コートダジュール空港に着く。パリまで約12時間、ニースまで乗継ぎ待ち2時間を入れて3時間半、計約16時間の移動。時差はサマータイムでマイナス7時間、この季節は1年で一番日が長く、日没は21時半ごろとのことで、この時間でも昼間のように明るい。ニースの空港は定期運航の飛行場に隣接して、ずらっと並ぶプライベートジェットの駐機場がある。軽く30機は超えている。さすが世界の金持ちが集まる街だと実感。出迎えの日本語の話せる運転手の第一声が「スリに気を付けて」といわれ驚いた。

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大型トラックによるテロ事件が起きた
プロムナード・デ・ザングレ(イギリス人の遊歩道)

2016年パリ祭の夜に大型トラックによるテロ事件が起きた海岸沿いの道『プロムナード・デ・ザングレイギリス人の遊歩道)』、椰子の茂る3.5キロの大通りをホテルに向かう。遊歩道は事件後、大型車両が入れない様に杭が設置されたそうだが、それ以外は特に警備が目立つこともなく、大勢の人が散策している。空港からニース市街地は近く、15分くらい。宿泊ホテルは大きなホテルではないが、公園に隣接し町の中心部に近いので便利がよい。

鞄を部屋に入れ、ホテル近くのイタリ―レストランで先ずは本場のニース風サラダで乾杯、軽い夕食。土曜の夜で客席はほぼ満席。明日に備えて、ホテルへ直帰し就寝。

7月7日(日)

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パン屋の店頭で クロワッサンを楽しむ

いよいよ「リヴィエラの女王コートダジュール観光が始まる。早朝にホテルを出て、旧市街地のサレヤ広場の朝市を見物。

野菜、果物、花、菓子、生活雑貨の露店開店の準備中。新鮮なプラムを買い、出来立てパン屋の店頭に席を取り、道行く人を眺めながらパリパリのクロワッサンの味を楽しむ。

ニース海岸に野宿している青年の脇を散歩して、有名な『I Love Nice』のモニュメントを撮影、ホテルに戻る。

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テロ後マセナ広場に設置された『I Love Nice』のモニュメント

小憩後、ニース市北部のマチス美術館、シャガール美術館に行くためマセナ広場周辺のバス停を探す。路線バスに乗り、住宅街の丘の上に、現代美術の二大源流と言われたフォービズムのリーダー的存在だったマチスが晩年を過ごした屋敷跡の「マチス美術館」、ロシア生まれで97歳までコードダジュールで暮らしたシャガールが、絶景の地に自分の作品を展示するために開いた「シャガール美術館」を訪問。

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マチスが晩年を過ごした屋敷跡の「マチス美術館」 「シャガール美術館」にて

マチスはその生涯に生みだした素描、絵画、彫刻、切り絵作品、ステンドグラスなどのデザインまでを網羅的に取りそろえ、子供供向けの工作アトリエも備える。

シャガールは宗教的主題の大型の連作を所蔵。

どちらもしゃれた建造物とオリーブやラベンダーなどの植栽に囲まれた静かな雰囲気に多くの入館者を集めていた。

近くのバス停から二階建てバスでニース市内に戻る。マセナ広場脇の公園では子供たちが噴水で興じていた。

7月8日(月)

ホテルでの朝食後、二階建てバスで、ニース港経由、ヴィル・フランシュ・シュルメールというニース東側の港町へ。丘の上の中世からの要塞跡がいまでは文化遺産として観光資源となっている。坂を下ってジャン・コクトーがデザインしたサンピエール礼拝堂を訪れたが生憎の休館日。小さな港の周辺の小路を散歩し、目当てのレストランの開店を待ってブイヤベースの有名店に入った。NHKで昨年放映された由、香辛料をたっぷり使った料理は期待以上だった。再びバスでニースに戻り、市内を巡ったのち、ホテルに帰還、休憩。

夕刻近くなり、Uber(タクシーの配車アプリ。近年日本でも普及し出している)でタクシーを呼んでエズ村へ。ここは、コートダジュール地方の切り立った崖や岩山のうえに作られた、いわゆる「フランスの鷲の巣村」の代表格の村。頂上まで700㍍の細い石畳の道がくねくねと続く。途中の小さな店や、高級車が続々と入っていくミシュラン二つ星レストランを横目にゆっくり登り、シャトーエズの絶景のテラスにて地ビールを飲んで一服。その上の植物園からの景色も素晴らしかった。

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「フランスの鷲の巣村」の代表格の村「エズ村」 絶景のテラスで地ビールを楽しんだ

7月9日(火)

予約していた個人ツアーでニースの西側の村々を巡る。ドライバーは、自ら観光会社を経営する美人のフランス人女性。日本語に堪能で、業界ではいちおしのガイドだそうだ。

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香水の町「グラ―ス」 ピンク色の傘で飾られていた

香水の町グラ―スまで、50分高速道を行く。この町は年中花が絶えない香りの町。世界で活躍する調香師の大半はここの出身といわれているそう。石畳の街はピンク色の傘で飾られている。最近多くの新商品を世に出すようになり企業としても躍進している香水ブランドの『フラゴナール』(やり手の3姉妹が経営しているらしい)や、香りのよい手作り石鹸のショップをひやかし、パン屋で地元の郷土菓子で休憩。その後グラースからほど近い公営の植物園を散策。大きな胡椒の木やまだ残っていたミモザの花などを、素足を蟻に刺されながら見物。

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サン・ポール・デュ・ヴァンス村で
ランチ

続いて、サン・ポール・デュ・ヴァンス村へ。大きな菩提樹の木陰のレストランでランチを楽しんでいたところ突然の嵐に見舞われる。大きなパラソルが吹き飛ばされるなど、一時騒然とするが、しっかりしたテントの下にいた我々は無事。嵐はほどなく過ぎて、歴史を感じさせる石畳の路地をギャラリー、アトリエや宝飾店を散歩。97歳までこの地で暮らしたシャガールの墓もここにある。ユダヤ教の風習通り、石棺の上に小石が並べてあった。

最後にヴァンスの村に、マチスがデザインしたロザリオ礼拝堂を訪問。真っ白な建物に、青と黄色のシンプルなステンドグラスが施された清潔感のある建築。そもそもこの礼拝堂に来ることがこの旅行の主眼でもあり、ゆったりと時間を過ごす。

7月10日(水)

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モンテカルロ公国・モナコ 高級マンションが林立していた

コートダジュール最後の日、折角だからモナコに足を伸ばそうとUberでクルマを呼び、海岸沿いの景色を眺めつつ、モンテカルロ公国・モナコに入った。

国の広さは、ヴァチカンに次ぐ世界で2番目の小ささ、標高差162㍍の岩山から海岸までの傾斜地に高級マンションが林立している。そのマンションを国王が大半を所有し、高級車や切手のコレクションと株券で暮らしているそうだ。81歳で亡くなった国王の遺産は2000億円。

町はごみ一つなく花や緑の植栽が溢れている。完全自動運転のミニバスも実験運行されている。

治安は極めて良好、高級装身具を付けて街を歩いてもひったくりにあうことも稀の由。警官の数は人口比でフランスの3倍、監視カメラが行きわたっているからだろうか。

王宮のある断崖絶壁からクルーザーが停泊している港を眺め、王宮前広場や、1982年に自ら運転した事故で亡くなったグレース・ケリーの墓所もあるモナコの大聖堂を見物。グレース・ケリーは、死後、ドクター184人、従業員1674人を抱える病院を設立、レーニエ公がその死を悼んで8000株、300種のバラ園を作ったそうだ。坂道を下って6月に行われたF1レースのスタート地点を見つつモンテカルロへ。町の中心部には、1863年開業のカジノ・ド・モンテカルロが代表的。カジノへは、外国人のみが入れるが、パスポートの提示を求められ、見物コース(10ユーロ)もあったが割愛。午後10時以降はタキシード着用だが、日中は親がついていれば未成年者でも入場可。国民の80%が外国人で自国民は無税。カジノは国の重要産業ではあるが、以前ほどの収益源ではなく、観光や金融、不動産で稼いでいるとのこと。

カジノ前のカフェで行きかうフェラーリを見ながら大きなパフェを頂き、ちょっとした贅沢気分を味わう。

ヘリコプターなら7分のところ、車で約30分かけてニースに戻り、ニースで最後のランチを済ませ、夕方17時15分ニース発、19時前にパリ オルリー空港に到着。

パリのホテルはセーヌ左岸のサンジェルマン地区、Hotel Left Bank。こじんまりした佇まいでこれをプチホテルというのだろう。となりの老舗レストラン プロコップで夕食。満席。店内にナポレオンの帽子が展示されていた。

7月11日(木)

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仮囲いに覆われ修復中のノートルダム寺院 
パリ上空は各種の飛行機が爆音を轟かせていた

朝食をとり、パリ市内見物に出かける。先ずセーヌ河畔まで歩き、5月に火事にあったノートルダム寺院を見物、焼け落ちたドームは仮囲いに覆われ修復中。復興寄付金も世界ブランドのコティやルイヴィトンなどが200億~300億円をポンと出したと話題になった。カフェで一服して地下鉄でオルセー美術館に行く。

炎天下の切符売り場で30分待ち、入場してからも展示室に入るのに30分待って漸く印象派の展示室に入った。さすがに疲れたのでカフェで休もうしたが満席なので一通り観賞して外に出る。

当日はパリ祭前、フランス空軍の航空ショウがあるらしく、パリ上空は戦闘機、ヘリコプターなど各種の飛行機が爆音を轟かせていた。別行動の妻・冴子がコンコルド広場から合流してくるのを美術館の前で待っていたところ、今回の旅行で初めて物乞いに囲まれる。フランス社会の縮図を体感した。暑さで疲れたこともあり、Uberでタクシーを呼びホテルに戻る。呼べばすぐ来るし、支払いもカードで現金のやり取りいらず、いる場所に来てくれるのは本当に便利。その後ホテルで、街で求めてきたエクレアとサンドイッチの軽食をとる。

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道路閉鎖となったシャンゼリゼ通り


夜になり、子供たちは観光バスで夜のイルミネーションツアーにでかけたが、この日アフリカネイションズ・カップでアルジェリアが4強に勝ち上がったことで、アルジェリア系移民が喜んでシャンゼリゼ通りに集結し道路閉鎖となり、凱旋門まで行けなかったという。こんなことからも欧州の移民の多さを実感する。

7月12日(金)

楽しみにしていたパリ郊外のジヴェル二―村にある「モネの庭」を訪問。

入口から見物客で行列したが、中に入れば10人の庭師が丹精込めた色とりどりの花々。

モネが最晩年を43年間過ごした別荘だけあって、どれもこれも絵になる。天候にも恵まれ、意外に大きなあの「睡蓮の池」を観賞。見物客はおそらく世界中から来ており、満員のショップで買い物。

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パリ郊外のジヴェル二―村 モネの庭睡蓮の池

ランチの予約時間に間に合うよう大急ぎでパリに戻り、レストラン「ES」に到着。

客席18席のこじんまりした落ち着いた雰囲気で、いつの間にか満席になった。まさに知る人ぞ知るパリの店。紹介して頂いたT代さんに改めて感謝する次第。

一生忘れられない感動のフランス料理を赤ワインと堪能しシェフの本城さんに挨拶。

日本に帰る気持ちはないとのお言葉にシェフの覚悟と決意を感じ、この地での成功を祈って激励。

サンジェルマン地区の有名なショコラティエでフルーツゼリーやキャラメルを求め、パリ最古のデパート「ボンマルシェ」の世界最高の総菜売り場に立ち寄る。パリ最後の夜は、ワインとデパートの総菜で乾杯。

7月13日(土)

出発の朝、顔見知りの千葉商大島田学長と遭遇。偶然の出会いに驚きつつ、聞けば先生は毎年、日本の若手経営者のグループを率いて訪仏されている由。日本の若者によい刺激となるであろう先生の活動に喝采。

出発前にホテル近くの Buci 通りでパンやお土産の菓子を買い、空港に向かった。

AF276便13時30分離陸、機中では新作邦画「散り椿」を鑑賞。翌日の8時25分成田着。横浜の自宅に昼ごろ無事到着。

感想

この歳になって、ほとんど諦めていたヨーロッパ旅行ができたことにまず感謝したい。

フランス語には馴染めずじまいであったが、何とか無事に予定の目的地を訪問できたことに我ながら自信がついた。やはり引きこもっていては人生楽しくない。

時代の変化で、通信や交通手段もサービスも改善され、高齢者だから無理だとあきらめていたことが可能になっているのは長生きのお陰か。エンドマーク

いしかわまさき ディレクトフォース会員(会員番号950)
元安田火災海上保険 元パソナ 現セーフティネット 

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