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 2019/08/16(No299)

私のDNA ーー 関西生まれのラテン系

角谷 充弘

筆者

DFに入会して間もなく10年が経過する。この間、ゴルフ好き、ワイン好きな方々を中心に多くの皆さんと知り合う事が出来、ご交誼頂いており有難い。皆さんに感謝しつつ自分を振り返ってみたい。

関西人

奈良県桜井市の田舎町から電車で1時間、大阪市内の学校に中学から10年間通い、22歳で大学を卒業するや東京本社の会社に就職して今日に至った。僅か22年間でしかない関西での生活だが、今でも私には関西人のDNAが強く刻まれていると感じるし、そう思っている。

或る東京出身の先輩が大阪に赴任され、「大阪はソウルと同じだ」と言われた方がいる。が、私には大阪に大好きなラテンの空気を感じる。会話の乗りは一般的なイタリア、スペイン、中南米人のそれとびっくりするほど似ているし、初対面でもすぐに打ち解け話が弾む。すると嬉しさ、懐かしさをおぼえる。今でも年に1、2度大阪に出かけ、大阪在の友人と飲み喰いしたくなるのはこの空気を吸うためであり、又、10年程前から毎年イタリア中心にスペイン、フランスを訪ねるが、無意識ではあるが大阪に出かけるのと同じ感覚だ。

人事異動

入社後4年経過した1973年7月、突然異動の内示を受けた。会社が南米ヴェネズエラにアルミ精錬の合弁事業を展開するに伴い、カラカスに合弁会社が設立され、登記を完了した直後であった。当時私は化学品の営業に従事していたが、「君には軽金属事業部に異動してもらう、条件があってなるだけ速やかにカラカスに赴任すること」と言われ二つ返事で了解した。入社前から海外勤務を志向していたこと、まして好きなラテンの国なら断る理由はなかった。

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オリノコ河流域の精錬工場予定地で造成工事開始直後 オリノコ河流域の精錬工場予定地で
造成工事ほぼ完了

コロンブスが新大陸上陸を果たした日にあやかり、私も1973年10月12日にカラカスに上陸した。新婚旅行でグアムに行く為一度飛行機に乗った以外は国内線すら搭乗経験なく、長い国際線の機中で、年老いた両親との永遠の別れかも知れない、とか重い機体が何故空中に浮いて飛んでいられるのか、今にも太平洋上に直撃するのではないかとか考え落ち着けなかった。羽田から、兄が駐在を始めたばかりのサンフランシスコに立ち寄り一泊、翌日乗り継ぎの為ニューヨークに一泊してカラカスに到着。憧れのラテンでの生活が始まった。

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カリブ海に浮かぶアルーバ島にて

ワイン、ラテンの食文化

4年間のカラカス在勤中、仕事以外で得たものはワインとゴルフの楽しみだ。私の趣味の一つとなり、昨今最も時間と金を使っているのはワインだ。赴任するまで酒は殆ど飲めず、ワインは全く経験がなかった。

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ワイン文化を教えてくれた弁護士

日本の数社とヴェネズエラ政府との合弁会社に派遣された私は、会社のボード出席、政府との株主間協議などを通じて政府高官や政府側、日本側双方の弁護士たちと会う機会が多くなった。彼らは悉く欧米に留学経験を有し欧米の文化を体験しているか、フランス、スペイン、イタリアなどラテン系の子孫であった。彼らと頻繁にランチやディナーに同席する機会を与えられたものの、都度ワインの蘊蓄を語り合う彼らの中には入ることができず悔しい思いを抱いていた。よ~し、将来時間が出来たらワインを勉強するぞと決めた。彼らが集う食卓では、間違いなくブルゴーニュかボルドーのしかも高級なワインが選ばれていた。グラスもクリスタル、天井から吊り下がっているシャンデリアと反射し合う光景は今も目に焼き付いている。私は味わう知識、能力もなくご相伴に預かっていたようだ。

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ヴェネズエラ政府との調印式

さほど大きくないカラカス中心部には、当時高級なフレンチ、イタリアン、スパニッシュレストラン、炭火焼きステーキハウスが軒を連ね、手ごろな店を選んでは公私ともに頻繁に利用した。食材が手に入らず、家でも外でも和食にありつけなかったからである。食事前のアペリティフにビールを飲む人はおらず、シャンパンやシェリーを飲む習慣を知った。食事の後や、Office で仕事中も1日に数杯エスプレッソを飲む習慣もこの時に教わった。

何事も初体験だらけの生活に日々遭遇し、20代後半と若かった事もあり現地の風俗・習慣・文化を吸収しどっぷり浸かっていたと思う。ワインや食の文化もさることながら、ファッションも気になっていた。ラテン系は老若男女を問わずお洒落するという事を知った。金持ちは金持ちなりに、一般的な庶民もそれなりに。若い私は大いに影響を受けた。人前では身だしなみを整えるという事が大事と。

ゴルフとの出会い

一緒に合弁事業に参加した大手商社の担当者のアドバイスに基づき、赴任に際し立ち寄ったニューヨークでゴルフクラブセットを買い、担いで赴任した。郊外のゴルフ場の会員権を手に入れ、毎週末ゴルフ場通いすることになった。たちまち、日本から鴨がやってきたらしいと先の商社マンがメンバーとなっているカラカス市内に近いラグニータカントリークラブに招かれ、数名のシングルクラスの人達の洗礼を受けた。

このゴルフ場で1974年ワールドカップが開催され、青木、尾崎両プロが出場、練習風景を含め、お二人を目の前でじっくりと観察させて頂いた。米国代表として出場していたヘール・アーウィンの顔、名前を何故か今も覚えている。二人の日本のプロと風貌が全く違っていたからだろう。

私が通っていたコースはカラカスから45分、海抜1400mの山を切り開いた関西にありがちなゴルフ場に似ていた。週末ごとに1年ほど通っているうち、毎朝スタートを見守っているクラブの専属プロとも親しく会話出来る仲となり、時にラウンドに付き合ってもらって教わることもあった。コースはアップ、ダウンあり、ブラインドホールありと、アイアンで小さめのグリーンに確実に寄せる技術を磨いていたと思う。今、その技術はどこにもないが。

所謂カントリークラブであり、日本のゴルフ場とは異なるクラブライフを知った。山小屋のように小さめのクラブのレストランで、プレー後ワインと共にランチを取って、近くのテーブルの人達とも旧知の如く楽しく談笑する、これがラテンだ。ゴルフ場でも、お洒落に気を使わない日本人男性に対して、ラテン系の人達は、ゴルフパンツ、シャツ、シューズにさりげないお洒落感を漂わせていたのが印象に残る。エンドマーク

かくたにみつひろ ディレクトフォース会員 (766)元昭和電工 

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