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 2018/6/1(No270)

「生き方と逝き方、映画に学ぶ」

本田 安弘

私

今年の東京の桜は、とにかく早かった。例年より半月早く咲き、半月早く散った。入学式、入社式の4月1日には桜が文字通り華を添えるのだが、今年は完全に葉桜であった。

桜が早いものだから、チューリップも藤もつつじも次々と連動して早まり、毎年の盛りの頃には、それぞれの花は役割を終えて姿を消していた。

季節の移ろいや気候の変化をこれまでになく感じるようになっている自分自身の感覚を気にとめている。日時の過ぎる速さにも特別の感慨を抱くようになっている自分自身の在り様にも驚いている。

環境変化に敏感になったというより、なんとなく追われている感じ、せかされているような、これまで以上のスピード感で、時間が進んでいるように思える。人生の残り時間との兼ね合いなのだろうか。

 

ところで、私は映画を見るのが好きだ。細切れ時間を利用して映画を見てきたが、無所属になってからは、映画で多くの時間を潰している。「鑑賞」と言う高尚なものではなく、ただ「見る」だけである。

以前は映画を見ても、「長い」と感じなかったが、最近は所要時間が長いように感じる。同じ2時間の映画でも以前よりずいぶん長い映画だと思うようになっている。体力気力の低下、あるいは興味の変化によるものだろうか。

最近1ヵ月の間に、人生の終盤にさしかかった老人が主役の映画をまとまって見る機会があった。生き方、逝き方を取り扱ったと受け止められる点で共通している。テーマは「人生の旅の終わりを目指して最高の人生にするための生き方、逝き方」あるいは「死しても朽ちない逝き方」ということになろうか。

「ロング、ロングバケーション」「あなたの旅立ち、綴ります」そして「ラッキー」の3作品である。70代、80代、90代の老人たちの死の直前の自由な生き様を描き、旅立っていく姿を示している。ストーリーの断片を紹介するが、映画評論をするつもりはない。

 

ロング、ロングバケーション』(パオロ・ヴィルズイ監督 ヘレン・ミレン、ドナルド・サザーランド)50年連れ添い、70歳を超えた夫婦の物語。夫は元文学教師でアルツハイマー進行中、妻は末期がん。2人がキャンピングカーでヘミングウェイの生家を目指す。なんと!夫の運転でアメリカ縦断の旅を決行する。長い長い人生を共に生きた夫婦の最後のバケーション。道中さまざまな出来事があり、波乱の旅ではあるが、夫婦が思いやり溶け合う旅でもある。

映画が終わってしばし黙想した。夫婦とは何か、生きる意義は何か。人生の最後まで夫婦揃って元気に生きることは難題だ。自分の意思で動ける限界は見えている。他人には迷惑をかけない、自分たちの事は自分たちで始末をつける。そんな気概があってもいい。充分生きた者にとって、死は別れではなく、新しい世界への旅立ちなの だ ーー そう思いたい。

◇ ◇ ◇

あなたの旅立ち、綴ります』(マーク・ペリントン監督 シャリー・マクレーン、アマンダ・セイフライド)女性経営者として成功し、財を成した老婦人はひとり暮し。80歳を過ぎて元気でマイペース。他人の訃報記事を見るにつけ、孤独と死への不安も感じている。生前に自分の訃報記事を読みたくなり、女性記者に依頼する。男性社会を肩肘張って生き抜き、自己中心的な彼女の評判は良くない。

 

理想とかけ離れた原稿を見て、いくつになっても人生は綴り直せると決意し、老婦人は最高の訃報が出ることにチャレンジする。最高の訃報の条件は「家族や友人に愛されること、同僚から尊敬されること、誰かの人生に影響を与えるような人物であること、そして人の記憶に残る特別な何かをやり遂げること」であり、これを満たすべく、老婦人は記者を連れて行動開始する。

私は訃報や弔辞の対象になる人間ではないが、せめて家族や孫たち友人たちに、何か思いを心の片隅に残したいと言う気持ちはある。残り時間はわずかだが、今からでも遅くはない、挑戦してみる意欲をかき立てたい。

◇ ◇ ◇

ラッキー』(ジョン・キャロル・リンチ監督 ハリー・ディーン・スタントン、デヴィッド・リンチ)サボテン、のそのそ歩く亀、日差しの強い荒野の風景が広がる。ひとり暮らしの老人の朝が始まる。身支度を整えて行きつけのダイナーに出かけ、コーヒーを飲み新聞のクロスワードパズルを解く。夜は居酒屋でブラッディ・マリアを飲み、馴染み客たちと過ごす。友人の亀が逃げた話に無常を感じる。90才の現実主義者、無神論者ラッキーの毎日が繰り返される。ある日、目眩で倒れるが、検査の結果は異常なし。

ラッキーは人生が終わりに近づいていることを自覚し、「死」について考えたり、子供の頃、怖かった暗闇を思い出したりする。メキシコ系のドラッグストアの店員から、息子の誕生日パーティーに招かれる。そこでマリアッチの歌を披露し拍手喝采、まんざらでもない表情を見せる。

相変わらず同じ毎日が繰り返される。荒野の中を街に向かう痩身のラッキーの姿、天命に従って達観しているのか。手前で亀がのそのそ。

映画が終わって、わが身を思った。いつまでどんなふうに生きていけば良いのか。あれこれ無為に動いているうちに残りの時間が終わるのか。「人は皆生まれる時も、死ぬ時も1人だ」とラッキーは言うが、私の逝き際に妻や家族たちとどんな別れができるだろうか。

 

季節の移ろいを過敏に感じたり、日時の過ぎゆく速さに驚いたりするのは、人生のある領域に入ったためなのか。それ故に映画を見ても深い意味を探り、我が身に関わることを求めて感慨を得ようとしているのか。キャンピングカーの老夫婦と裕福な老婦人は、映画の終盤で逝ってしまうのだが、映画のラッキーは死の恐怖を抱えながらもすこぶる元気。しかし、ラッキーを演じたスタントンは、映画完成後、公開を待たずに2017年9月に亡くなった。

これら3作品は突然私の前に揃って現れ、私に残された時間の生き方と逝き方を考える幾ばくかのヒントを与えてくれたように思う。人生の終わりはすべての者に訪れる。エンドマーク

ほんだ やすひろ  ディレクトフォース会員(442)
元大成建設 元トーセイ 

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