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 2017/5/1(No244)

Jリーグ 25年の中でのできごと

杉江 栄治

筆者丁度、私が齢「50歳」を迎える年に、日本にも「地域に密着したプロサッカーチームを」という、川渕チェアマンの呼びかけで「Jリーグ」が誕生。DFのメンバーには、団塊世代と呼ばれる層が多くおられるので、このニュースはかなり記憶に残っていることと思います。

「Jリーグ」誕生と同時に、私の在籍していた京セラ株式会社の稲盛会長が、市民の要請に応えて京都の財界人に協力を求め、「株式会社 京都パープルサンガ」を設立し、Jリーグに仲間入りしました。しかし、ホームゲーム120試合のプロ野球ですら採算が取れている球団が数少ないなか、サッカーにおいては、試合数や有料入場者の少なさ(ホームゲームは:20試合弱、平均入場者数:1万人、入場料:平均2千円)から考えて、経営は「成り立たない」という観点で、私は進出に反対をしておりました。

稲盛会長は、当初なんとかするといういつものスタンスでスタートさせ、資本金10億円、毎年の宣伝広告費(胸の京セラマーク)5億円の負担で推移を見ていましたが、このままでは、ご自身の経営哲学に汚点を残すとの思いで、会長の秘書役を「サンガの専務取締役(事実上の社長職)」に就任させ、管理職社員の中では、一番スポーツ界に精通しているということで、私が「取締役管理本部長」として、サンガの経営改善に送り込まれました(編集註:杉江さんは横浜商業高校〈Y高〉時代から野球部員として活躍。国体にもリレー選手として出場されました)。

欧州ではTVの放映権が収入の大半を占めますが、その頃のサンガの年間収入は、NHKから入る1億円程度の放映権料と、年間1本1000万〜500万程度の球場内の看板広告と、入場料収入を加えても総収入は10億程度ですから、京セラ流の「入ずるを計り 出ずるを制す」という理念が成り立ちにくい状況でありました。

そこで、止むを得ず一番経費が掛かっている選手の年俸の見直しをするよう、稲盛サンガ会長の指示により、全員カットを実行することになりました。

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2019年に生まれ変わる国立競技場で行われたJリーグ ファイナルゲーム〈東京ベルディ vs FC岐阜〉の試合を観戦後、 「青山門」でのラモスと孫の2ショット(左)と家族との記念写真(2014.5.3)

そこで起きたお話しです。あのラモス選手が当時サンガにいましたが、読売V時代からの高給年俸と高級ホテル住まいの宿泊費をなんとかしなければならい状況になりました。

会社側から、当初新たな金額の提示をしましたが、彼の事務所の社長は完全拒否。こじれたまま、2月1日のキャンプインの日を迎えることになりました。ちなみにキャンプは自費参加です。私は管理本部長として情報を各所から集めたところ、ラモス選手が「1億円プレーヤー」に拘りを持っていることを知ったので、新聞記者へは「推定年俸1億」とリークすることで事務所の社長の了解を得て、キャンプ地の鳴門のグランドに向いました。ラモス選手は、マッサージ中でしたが、横になりながらわたしの話を聞いてくれ、最後は快く契約書にサインしてくれました。この交渉を通じて、これが一流選手のプライドなのだということをもろに感じた貴重な経験でした。

もう1人の「大物Jリーガ―」、いわゆる「Jリーグのレジェンド」三浦知良(キングカズ)もサンガで一緒に仕事をしました。私は当時、読売ヴェルディの森下社長と懇意にしておりましたので、そのご縁もあってラモス・藤吉・山口、そして武田と三浦がサンガに来てくれていました。その大物カズ選手のピッチでの活躍はご承知の通りで、ブラジル留学で始まり、Jリーグの開幕に合わせて帰国、そしてその後、イタリアセリエA、Jリーグ、クロアチア、Jリーグと35年間プロ選手として活躍しています。50歳になる今年も挑戦中です。以下は、彼のピッチ外でのエピソードのひとつです。

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独身寮の1階部分をイタリアン・レストランにした「クチーナ・サンガ」で食事をする「オフト監督」の取材記事(左)とレストランの入り口(市役所の隣にあった)

キングカズは、99年にサンガにきました。「キング」ですから、三顧の礼をもって迎え、ラモス同様「京都ホテルのスイートルーム」を用意しましたが、どこで聞いたのか、グランドの有る城陽市の市役所の隣りにある、サンガの独身寮に入ると自分から申し出てきました。実はこの独身寮は、2DKのアパートでしたが、建築途中で家主さんに交渉して、1階部分の3分の2をイタリアンレストランにして、選手と交流の場所にしていました。レストランは「クチーナ・サンガ」といい、市長からのお声掛けもあって市役所の皆さんにも利用いただき、当初はお昼には行列ができる程の大変な人気で、順調に推移していました、

しかし、ラモスの退団とともに人気に陰りが出てきたので、カズ選手には、是非レストランに顔を出して欲しいと思っていたところ、独身寮に入ってくれるということになり、これはまさに渡りに船。「キングカズ」は「自分は若い選手と話がしたいし、何よりもサポーターの皆さんと食事ができるのは、最高じゃないですか」と簡単に言ってくれました。管理担当としては、願ったり叶ったり(ホテル代も何百万も節約‥‥)、大変助かりました。

また、彼は本当にサポーターを大切にしてくれました。本当のプロ中のプロといっても言い過ぎではありません。それに、練習後も1人残り、納得の行くまでシュートの練習を繰り返ししていました。加えて、皆さんのご存知ない部分がもうひとつあります。彼を見ておそらく多く方は彼が柔軟性があると見ておられると思いますが、実は身体はとても固いのです。後ろから押したら悲鳴を上げておりました(もう1人柔軟性がありそうで固いプロ選手が居ります。昔、巨人軍に柴田勲という外野手が居りましたが、足が速く俊敏そのものでしたが、彼も三浦カズ選手と同様でした)。

Jリーグも25年、カズと共に歴史が作られてきましたが、三浦知良は正にレジェンドです。今年も最年長ゴールを挙げました。彼の今後に注目をしたいです。エンドマーク

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2019年に生まれ変わる国立競技場でのJリーグ ファイナルゲーム〈東京ベルディ vs FC岐阜〉の試合を観戦後 「ラモスと孫」の2ショット(2014.5.3)
2019年に生まれ変わる国立競技場でのJリーグ ファイナルゲーム〈東京ベルディ vs FC岐阜〉の試合を観戦後 「青山門」で家族とともに記念撮影(2014.5.3)

イタリアン・レストラン「クチーナ・サンガ」で食事をする「オフト監督」の取材記事

独身寮の1階部分をイタリアン・レストランにした「クチーナ・サンガ」の入り口