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一般社団法人 ディレクトフォース

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2020/10/16(No.327)

落語と共に70余年

 

森川 紀一

織田文雄

まだテレビが普及する前、夕食が終わり家族団欒の時間にラジオから流れる落語が最初の出会いだったように思います。まだ子供だったので3代目三遊亭金馬の、『金明竹きんめいちく』『道灌』『茶の湯』『雑俳ざっぱい』『居酒屋』『長屋の花見』等、分かり易く『クスグリ』の多い滑稽噺に無邪気に腹を抱えて笑っていました。長屋の花見では、店子達が大家さんにそれぞれ口調等の変化をつけて一人ずつ挨拶をしているのが何故か印象的でした。後に、桂枝雀が『お客さんの想像力が落語の重要な要素です』と言っていることを知り、想像力を刺激するための工夫の産物だったのだと納得したものです。

当時、林家三平が人気を博していましたが同じ落語といっても金馬とは随分違うなあという感じがしていました。またテレビの『お笑いタッグマッチ』というものをみて、落語家はこのようなことが出来るのだと驚きとともに知りました。お笑いタッグマッチでは、真ん中に陣取った司会の柳昇がトロンボーンでファンファーレを吹き、左に小円馬、柳好、夢楽、右に小せん、伸治、馬の助が陣取り、それぞれ三題のお題拝借で即席の噺を演じていました。かなり乱暴な筋立てだったと記憶していますが必ず『落ち』がありました。『落ち』が落語の鍵と気付かされた番組です。三題噺というと三遊亭圓朝の『芝浜』が有名ですが、即席にこのようなものを作り上げる素晴らしい才能に感服してしまいます。

 
(左から)3代目三遊亭金馬 桂枝雀林家三平 春風亭柳昇

中学生になって、言葉遊びの好きな教師の影響で、授業中に駄洒落を飛ばすようになりました。気の利いたことを発言し笑いを取り、皆に上手いなどと煽てられたりしました。ついその気になって『ひょっとしてその方面に才能があるのか』なんて思い込んでいたようでした。

◇ ◇ ◇

高等学校に入学して、どのクラブに入るか迷いました。生徒会が新入生のため、土曜日の放課後講堂でクラブの紹介イベントを開いてくれました。グリークラブは、校歌や応援歌の披露、空手部は演武、アメリカン・フットボール部は、アメリカン・スクールの女子生徒による英語での紹介。『君たちはこれくらいの英語はわかるでしょう』といわれて、中学校とはずいぶん違うのだと度肝を抜かれてしまいました。愕然としてボーっとしていると急に、講堂内に三味線、太鼓、笛、当り鉦の音が聞こえてきました。きょろきょろと周りを見回し、舞台に目を向けると和服の三年生が落語を始めました。雑俳という噺でした。先程訳の分からない英語を聞いたこともあり、聞き入ってしまいました。クスグリで会場が笑いの渦に囲まれました。いつかこの講堂を笑い声でいっぱいにしたいと思い、落語研究会に入会することを決めました。

◇ ◇ ◇

わが落語研究会は『同好会』の位置付だったので部室の割当がなく、演劇部の部室を間借りしていました。演劇部は部室を倉庫として利用していただけなので我々が自由に使っていました。壁の前に、高座を模した畳一畳、埃まみれの座布団。上方落語では見台があるのですが我々は座布団のみで座っての稽古です。小道具は、かぜ(高座扇こうざせん)と曼荼羅 まんだら手拭てぬぐい)のみ。先輩方は、廃棄された自動車から拾ってきた後部座席の観客席に座って稽古をつけてくれました。

最初は、小噺の練習。左(上手)を向き一言、右(下手)に向いて一言。

例えば‥‥

そこに囲いができたねえ

へい

声が小さい。言葉がはっきりしない。間が早すぎる。間が遅すぎる。などなど先輩の指導。
その後、少し長い『桝落し』『酒粕』『甘酒売り』等の小噺。ここで仕込んだ小噺は、その後枕として活用しました。

最初に覚える噺は、例えば、『寿限無』『金明竹』『雑俳』等滑舌かつぜつの訓練を兼ねたような前座噺。
私は『雑俳』が初めての覚えた噺です。口伝くでんという稽古です。先輩の喋る台詞のひと塊を鸚鵡返おおうむがえしに復唱していきます。その過程で上下の使い分け、間の取り方や仕草等を覚えつつ6月初旬の初舞台に向けて仕上げていきました。

◇ ◇ ◇

落語研究会では定期的に『○○寄席』と称して、昼休みに教室で開催しました。放課後は一切開催しませんでした。過去に土曜日の放課後に開催した時、誰も聴きに来なかったという苦い経験がトラウマとなってしまっていたのです。『○○寄席』の数日前からテルテル坊主を逆さに吊り、雨降り祈願をしました。晴れていれば皆校庭でソフトボールや卓球に興じて落語を聴きに来る奇特な生徒はいません。『○○寄席』で多くの観客が集まるのは、先輩が出演する時です。入学早々の『○○寄席』で、大雨で先輩が出演というときは、演者が教室に入ることが出来ない程のお客さんの入りでした。『○○寄席』の唯一の告知活動は、ビラ配りで、普段ぎりぎりに登校している全研究会員が、この時だけはは早く登校したものでした。

初舞台で芸名を披露します。因みに私は『遅刻家駆足 ちこくやかけあし 』です。初舞台の時は級友が義理で聴きに来てくれました。客席を眺める余裕もなく、ただただ覚えたての噺を大声で喋っていました。そしてあっという間に終わってしまいました。顔からぐっしょりと汗がしたたり落ちていたことだけが鮮明に記憶に残っています。

入会して驚いたのですが、落語研究会は小所帯、なんと3年生1人、2年生5人、新入生3人とやっと野球のチーム編成ができる人数でした。在校中の3年間、総数は同じようなものでした。聴くのは好きだけれど演じてまでという人間はそう沢山いるわけではないようです。創立6年目の研究会だったのですが先輩連もせいぜい各学年1~2名でした。今、母校のウェブを見ると落語研究会の記述がないので寂しい思いをしています。我々の時代、廃部寸前で試合のたびにサッカー部、ラグビー部や柔道部からの助っ人でチーム編成をしていたアメリカン・フットボール部が大所帯となり全国制覇したなどと聞くと隔世の感を禁じ得ないです。

◇ ◇ ◇

初舞台以降の噺の仕込みは、殆ど研究会所蔵の速記本で覚えます。『えー毎度馬鹿馬鹿しいお噺で‥‥ 』で始まり『‥‥ (下げ)』で終わります。20分から30分の噺です。兎に角一言一句書かれている通りの丸暗記作業です。歩きながらぶつぶつ言っているので人が避けてゆくことがよくありました。覚えたからといって形になるわけではありません。噺に磨きがかかるのは、一つは夏休みと春休みに行う慰問旅行と称する落語研究会の合宿でです。

原作・菊田一夫、フランキー堺 八波むと志 三木のり平 榎本健一 嵯峨三智子 原知佐子 清川虹子 浜美枝 アチャコ 徳川夢声 柳家金語楼 など懐かしい顔触れが見える

まず、訪問地域を決めそこの老人ホームや結核療養所に『慰問旅行の趣旨』書簡を送り、(昼間の演芸披露の機会と宿泊の提供のお願い)受け入れていただいた施設を訪問します。急行等が停車しない場所に多くの施設があったので、お蔭で日本各地の鈍行停車駅に詳しくなってしまいました。

演芸は、落語と色物(漫才、奇術、寸劇)の構成です。なぜか色物の方が笑いを取ることが出来るのが残念でした。舞台に多数登場し動きがある方が観客に受けるのかもしれません。寸劇は『雲の上の団五郎一座』の影響を強く受けたものでした。寸劇のため、かつらや刀等の小道具を携行するのでちょっとした旅芸人の心持でした。演芸は校歌斉唱で終了しました。高校生が一生懸命に演じたので上手い下手は関係なく喜んでいただけたのではと思っています。

慰問旅行では、一つの噺を演じ続けます。毎回お客さんの反応を見て手直しをして2週間程の慰問旅行終了時にそれなりの噺と仕上げていきます。老人ホームと療養所では観客の世代が異なるので受けるツボが異なるものもあり様々な勉強ができたと思います。それらの成果を反映し次の学期の『○○寄席』で披露しました。

◇ ◇ ◇

(左から)志ん生、文楽、圓生、小さん、正蔵、可楽
(左から)志ん朝、小ゑん(談志)、全生(先代円楽)

もう一つは、寄席やホールで生の落語を聴きに行くことでした。志ん生文楽圓生小さん正蔵可楽等の大御所、新進の志ん朝小ゑん談志)、全生先代円楽)等を聴きました。落語ファンとしては大変な宝物です。速記本には台詞しか書かれていないので、演ずるとなるとどうしてよいかわからないところが多々あります。そこで取り組んでいる噺が演じられると『間』『目線』『仕草』『口調』等かなり集中して観察したものでした。そして毎回、プロの凄さを感じさせられていました。

◇ ◇ ◇

高校時代のハイライトは、秋の学園祭でした。普段殺風景な男子校である母校もその時は多くの女子高生で花が咲いたようになりました。我々は和服でいるため珍獣を見るような目で観察されていたようでした。文化祭実行委員は気の利いた配慮をしてくれて、土曜日の午後3時頃と日曜日の午後1時頃の講堂でのゴールデンタイムを、落語研究会に割り当ててくれました。落語研究会のある高等学校はそれほど多くないので、珍しいということで集客が期待できると考えたからでしょう。

私も3年生の時1,500名程の観客の前で、慰問旅行で磨きをかけた噺『湯屋番ゆやばん』を演じました。枕で受けそうな小噺を振って軽くジャブをだし、ここぞ受けると思う所を入念に演じると誰か一人が吹き出し、その笑いが導火線となって講堂全体が爆笑の渦に包まれました。役者冥利に尽きると感じた瞬間でした。自分の芸の腕も上達したものだと思ってみましたが、学園祭というハレの時に何を見てもおかしいと感じる女子高生が笑ったからといって悦に入っていたのは恥ずかしい限りです。

落語研究会の活動は卒業式終了後の春休みの慰問旅行で卒業しました。

◇ ◇ ◇

先輩達が大学の落語研究会に入会しなかったことと、私自身言葉遊びに関心が移ったので、コント等のお笑いネタ作成で小遣い稼ぎをするようになりました。卒業後の進路を決めるとき、常に基準以上の質を保っていかなければならないコント作り等で生計を立ててゆく自信と覚悟がないので一般企業に就職をすることにしました。社会人になってからは、落語に関しては、関連書物を読んだり、CDを聞いたり、寄席に行ったりと細々と関わっています。言葉遊びに関しては事務所で駄洒落を言ったりして皆さんの耳を汚しています。

DFの落語同好会deで久しぶりに落語を演じる(平成25年11月 会員制居場所「DADA」)

数年前、DFの落語同好会で久しぶりに落語を演じる機会がありました。すっかり忘れてしまったと思っていた噺が、少しの練習で甦ってきたのは感激でした。また、受けるであろうと思う『クスグリ』がその通り受けるので、笑いに関して人間は変わらないのだとなぜか感激をしてしまいました。折角発表の場があるのだからついでに新しい噺を仕込もうと試みたのですが、どうも海馬体かいばたい機能の衰えで台詞が体に入ってきません。これでは 黄金餅こがねもちの金兵衛が『下谷山崎町から麻布絶江釜無村木蓮寺あざぶぜっこうかまなしむらもくれんじ』に行くことも、蒟蒻問答の雲水が『蒟蒻屋の六兵衛さんが待っている本堂』まで辿り着くことも出来ません。それでこれからは聴くことに専念しようと思います。同好の士を募って落語を聴きに行き、その後の感想を話合いたいと思います。もしご興味がありましたらお誘いした時ご一緒できれば幸いです。エンドマーク

もりかわ のりかず(870)DF代議員 事務局 健康医療研究会 落語同好会 俳句同好会
元・日本アイ・ビー・エム

(編集註:掲載した落語家の写真は編集者が独自にネットより引用しました)

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