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一般社団法人 ディレクトフォース

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2020/05/16(No.317)

「多国籍国家『日本』を夢想する」

ーー 返還前香港を想うことあれこれ ーー

 

大村 光彦

筆者

1.Borrowed Place, Borrowed Time

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いきなりですが、この本を探しています。どなたか心当たりある方がおられましたら、ぜひご連絡ください。

わたしと香港との付き合いは、返還前の1988年から1991年とわずか3年。1988年香港西武開店準備室へ参加、1990年香港西武開店、1991年帰国とあわただしく過ぎてしまいました。

Borrowed Place, Borrowed Time“「借りた場所で借りた時間に」中国返還前の香港を一言で表現するには、これ以上の言葉はないと今でも思っています。探している本は1968年頃の出版で当時すでに古本、香港理解のために探したのですが、いまだに見つからないという情けない話です。エッセーを書くのにネットで検索したら、アマゾンに出品されており注文したら、即座に品切れとの返信。DFの会員にお願いしたら何とかなるかと、良い機会なので、この場をお借りしてお願いする次第です。

1988年から1991年の香港は、半年ごとに街の姿が変わるという建設ラッシュ、地下鉄のエスカレーターは、“ボーっと!” していると倒れそうなほど動きが速く、人々も「時は金なり」で忙しく働き、街も人もエキサイティングで、圧倒される日々。“植民地香港人” は、政治に参加する自由はないけれど、大富豪になるのも、野垂れ死ぬのも自由で、”束縛されない?“ 自由は街に溢れていました。

香港人と親しくなると、外国籍を取得し、返還前にお金をためて移住したいとの本音を聞かされました。英語名を持ち、香港外でも通用する能力を持つために必死に勉強する。営業マンは、自分の会社のノルマを半月で達成し、残りの半月はほかの会社の営業をしてさらに稼ぐとか、収入のよい会社があれば即座に転職するとか、驚きの連続でした。

「なぜそんなに?」と問うと、返還後に香港人の香港になるとは信じられない、これまでの生活を続けたいと思っても、地主のルールが変わればどうなるかわからず不安、身を守るために蓄財し、場合によっては海外へ移住するとのこと。植民地支配の終わりが迫ったイギリス人だけでなく、香港で生まれた香港人にとっても返還前香港は「借りた場所、借りた時間」でした。今、混乱している香港をみんな予感していたのかもしれません。

2.香港西武とアラン・チャン

写真は、1988年当時に一緒に仕事をしたアラン・チャン氏です。同氏は、この後、日清ラ王のパッケージや三井住友銀行SMBCのロゴをデザインしたほか、日本通、お茶通としても有名で、1999年にはキリンビバレッジから「Mr CHAN」というお茶を日本で発売しました。デザイン哲学「東洋の情熱西洋の調和」はデザイン界にあまねく知られ、現在までに600のデザイン賞を受賞し世界で活躍するデザイナーです。

左から アラン・チャン氏 三井住友銀行CIデザイン 北京オリンピックキャンペーンポスター

1988年には、すでに第1人者であったアラン・チャン氏に香港西武のシンボルマークを作ってもらいました。下の写真にあるのがCIデザインで、魚をモチーフにしたデザインです。魚は中国では昔から “商売繁盛” の縁起ものとのことでした。

(左) CIデザイン制作物 (右上)港西武金鐘〈アドミラリティ〉店 (右下)大村ネームカード

一流のデザイナーがシンボルマークをデザインし、開店広告のコマーシャルは国際広告賞ライオンズ賞にノミネートされるなど開店当時は注目を集めた香港西武でしたが、1993年に地場小売流通大手、ディクソン・コンセプツ(迪生創建)に譲渡されてしまいました。その後、ディクソン社が香港だけでなく中国本土へも出店するなど多くの店を開店しましたが、いずれも次々に閉店し、2013年には最後の 旺角モンコック 店が閉店し、残念ながら香港の「SEIBU」ブランドは消えてしまいました。帰国するときのお別れ会食のとき、アラン・チャン氏から「Mr. Ohmura、あなたは広東語はしゃべれないし、英語も下手だ、香港で何をやっていたのか?」といわれ「そう思っているならもっと早くいってよ!」と情けない負け惜しみを言って別れたのが彼との最後でした。

3.返還前 ”植民地“ 香港観光案内

当時、香港に来たお客様を必ず案内したのは、香港エグゼクティブが朝の飲茶を楽しむ陸羽茶室ルク・ユー・ティー・ハウス 、昼の食事は、ザ・レパルスベイ(旧レパルスベイホテル)のベランダレストラン、食後は、近くのスタンレーマーケットの店を冷やかして、夜は香港在住の欧米人で賑わうランカイフォンへ。いずれも、外観内装ともに欧米風アールデコ調の建物が目立つ、いかにも “植民地香港“ らしいエリアです。返還後2008年に香港に行ったときにはまだこんな佇まいも残っておりましたが、近況ご存じの方、変化あれば教えてください。

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陸羽茶室(左店内 右外観)
左から ザ・レパルスベイ(ベランダレストラン)店内 同外観 ランカイフォン街並み(2011年時)

4.なぜ今、返還前香港を想うのか

いま、銀座を歩くと中国語やら、英語やらどこの言葉かわからない言葉が聞こえてきます。コロナですこし減ったとはいえ、年間2千万人近い外国人観光客が来日していれば街の空気も変わります。また、厚生労働省の白書によると、現在日本で働く外国人労働者は平成30(2018)年10月時点で約146万人とか、さらに2030年には日本人の労働人口は今より300万人減少するとのことです。もし経済の規模を維持しようとすれば、ロボットや自動機械に頼るか、外からの移民に頼るしかありません。フロント業務をロボットにやらせているホテルもありますが、これだけですべての労働力の減少に耐えられるとは考えにくく、やはり多くの移民を受け入れることになるでしょう。現に、外国人を労働者として受け入れる会社によると、毎年30万人の外国人労働者が流入しているとのことでした。

もし、外国人が日本に来ることを受け入れるなら、テロリストや犯罪者込みで難民を受け入れたヨーロッパや不法移民の扱いで社会に亀裂があるアメリカのようにではなく、多くの民族、多国籍の人々があつまり社会や経済が沸騰するほど活気のあった返還前の香港のようになれないものかと、夢想する今日この頃です。エンドマーク

おおむら みつひこ DF事務局(1157)
元西武百貨店

 

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