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一般社団法人 ディレクトフォース

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2020/05/01(No.316)

知っていますか「北海道家庭学校」

 

秋山 哲

北海道家庭学校」という学校の名前を聞いたことがあるだろうか。その創設者は留岡幸助とめおかこうすけといって、私が青年時代からもっとも尊敬している2人の中の1人だが、これまた知っている人はないかもしれない。

留岡は、岡山の高梁たかはしに生まれ、同志社を出て牧師になった人物。1899年(明治32年)に東京の巣鴨に家庭学校を作り、1914年(大正3年)に北海道に土地を得て、分校を建てた。それが北海道家庭学校の始まりである。

留岡幸助(1864-1934)

どういう学校か。今は「児童自立支援施設」というのだが、もともと「感化院」と呼ばれていた、といえば、分かる。問題を起こして家庭での育成ができなくなった青少年を受け入れる。司法の世界の少年院とは違う。少し分かりづらいのだが、「矯正」を目的とするのが少年院であるのに対して、環境を整え、生活指導、学習指導、作業指導を一体的に行って子供たちの自立を目指す児童福祉施設である。

児童自立支援施設は、全国に58ある。ほとんど全部が国公立で、民間団体が経営しているのは2つだけ。その1つが留岡創設のこの学校である。それだけでもこの学校はユニークだが、それだけではない。

まず、この学校の敷地は439ヘクタール、130万坪と、とてつもなく広い。留岡が見つけて政府から払い下げを受けた原野である。留岡は自身もここに住んで、森林を切り開き、開墾した。その過程で留岡が「生命の泉」と名付けた泉を発見する。その後先生たちが生徒たちと共に作り上げた長大な地下水路が今も学校の日常を支えている。また、広大な牧草地になっているところの土壌改良のために、先生と生徒たちが手作業で暗渠排水路を築いた。

ここに広がる森は、北海道庁の「北の里山」というものに指定されている。また、前回の東京オリンピックの時に各国選手団が持ってきた木の種から育った162本もの大木が「展示林」という名で校内の一角を占めている。

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北海道家庭学校と遠軽町 北海道家庭学校の案内図

所在地は遠軽えんがるという。網走の西で、廃線になったJR名寄本線に沿った町の外れにある。天気が良ければオホーツク海が見える。冬にはマイナス20度以下になる。したがって、学校には立派なゲレンデがあって、生徒たちが自力で造り上げたリフトも存在する。ここで毎年、スキーの訓練をする。自衛隊遠軽駐屯地から指導資格のある自衛隊員が来て生徒たちの指導をしている。

この広大な敷地をもつ家庭学校に、過去100年余りの間に在籍した生徒は2500人を少し超す程度である。1年平均にすると25人ほど。昔はもう少し多かったようだが、今の入所定員は85人でしかない。実際に在籍している生徒の数はもっと少なく、年によって違うけれども、20人台である。退所者が多い春には10人台ということもある。まことに少ない。

しかも、生徒の在籍期間は1年半から2年程度と、長くはない。このような施設に長くとどまると自立心が固まらないという懸念があるからである。

少人数である理由の1つは「 小舎夫婦制しょうしゃふうふせい」である。いくつかある小ぶりの宿舎に、夫婦の先生が住みこんで、生徒たちと暮らす、というのがこの学校の基本となっている。「家庭学校」の名の所以だ。「小舎夫婦制」は、留岡が始め、感化院の多くがそれに倣ったが、今もかたくなにこれを守っているのがこの学校の特色となっている。

先生であるこの夫婦は大変だ。朝と夕の食事はこの「家庭」で用意する。昼は学校の食堂で全員が食べる。小学校、中学校の分校が併設されていて、生徒たちはそこで勉強をし、家庭学校独特の作業に汗を流す。このような生徒の日常を見守り、指導していくのは並大抵のことではない。何分、問題を抱えている生徒たちである。それを手作業ともいうべき方法で育むのである。

生徒たちが敷地外にでることは禁止されている。単独行動は許されず、つねに集団行動を求められる。お金は持てず、テレビゲームも携帯もダメ。電話、手紙も制限がある。したがって、耐えられずに逃げ出す生徒はいる。生徒が行方不明になると職員総がかりで広大な敷地、また周辺を捜しまわって引き戻す。夜の雪山での大捜索ということもある。

実は、広大な敷地のこの学校には塀もフェンスもない。学校の正門は2本の石柱が立っているだけである。そこから長い道が校内へとつながる。留岡は「愛は最も堅い障壁」という理念を掲げて壁を巡らすことをしなかった。

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学校のシンボルである礼拝堂。留岡が1918年に建てた
木材も石材も敷地内のものを使い、水車の動力を使ったと言う

留岡は、牧師から監獄の教誨師となるのだが、監獄の中に非行少年を収容する「懲治場」があることに疑問をいだく。監獄の中に子供たちを入れるとかえって悪事に染まる。問題のある子供たちをどのように育成するべきか。そこでアメリカにわたって監獄事情を研究する。帰国して感化事業に乗り出す。教師と生徒が一緒に住む、家庭であり学校である、という家庭学校設立へと進んだのである。政府が感化法という法律を制定する前の年であった。留岡は、したがって問題のある青少年をどのようにして育てるか、という問題の先駆者であり、彼の研究と実践の成果を守り続けているのが北海道家庭学校ということになる。

実は、このほど、北海道家庭学校の校長であった仁原正幹さんの書かれた『新世紀ひとむれ」』という本を手にした。3月に校長を退任して理事長になられた人だが、校長在任中に学校の機関紙「ひとむれ」に書いた巻頭言をまとめた書物である。上の説明のかなりの部分はこの書物に依存しているのだが、この書を一読して改めて北海道家庭学校のすばらしさを実感した。そこで、DFのエッセイに投稿してメンバーの方々に北海道家庭学校を知ってもらいたいと思い立ったのである。

先に、「家庭学校独特の作業」と書いているが、どういうことか、仁原さんの書からところをところどころ引用する。

生徒たちは全員作業班に配属される。作業班は「蔬菜班」「山林班」「園芸班」「酪農班」「校内管理班」である。1年間の作業計画を決めて作業を行い、秋には「作業班学習発表」という全校集会を2日かけて開催する。生徒たち1人1人が関わった作業に関してテーマを決めて発表をする。1年間に34品種71種類もの野菜を育てたとか、林道整備、園芸用の土作り、牛舎の1日、旧鶏舎解体などというテーマの報告が並ぶ。その報告から伺える生徒たちの成長は見事である。半年ほどの作業をした小学生も立派な報告をする。

これらの報告に対して校長さんがいちいち丁寧な講評をする。その講評を読むと、生徒の数が少ないこともあるのだろうが、1人1人の生徒に対する観察のこまやかさ、暖かさに感心する。

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うっそうたる森林の中で生徒たちは成長していく

また、春には、併設している小学校、中学校の卒業式があるが、卒業する生徒がもともと在籍していた原籍校の先生がはるばる遠軽まで駆け付ける。かつて問題を起こしたたった1人の生徒に卒業証書を手渡すために来る。読んでいて目頭が熱くなる場面である。

考えてみると、この広大な校地で、多くの先生や職員が20人余りの生徒の育成に日々努力を積み重ねている、それを100年も繰り返している、というのは、あり得ることなのだろうか、と思えて来る。効率を最優先するこの社会では稀有なことではないだろうか。

この学校に在籍した子供たちがその後どうなったか、私にその情報はない。仁原さんの本に一つだけ記載されていたのは、礼拝堂にある電動オルガンを寄贈した人の話である。この人はここを卒業し、法学博士になり、コンサルタント会社を興した人である。オルガンは500万円もしたのだそうである。

ところで、最初に家庭学校も留岡幸助も知っている人はないかもしれない、と書いたけれども、実は、ディレクト・フォースには詳しく知っている人が1人おられる。1939年から1949年まで北海道家庭学校の3代目校長を務めた人は今井新太郎という牧師で、今井祐会員のお父様である。『少年の父 留岡幸助先生』などの著書もある。エンドマーク

あきやま てつ ディレクトフォース会員(544) 
元毎日新聞社 

註:北海道家庭学校 住所:北海道紋別郡遠軽町留岡34 電話:0158-42-2546

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