2020/04/01(No.314)
川﨑 有治
私の故郷、富山県高岡市は、奈良時代に越中国の国府が置かれていた場所で、天平18年(西暦746年)に国主として赴任した大伴家持が万葉集に残した473首のうち223首を詠んだ万葉の里でもあります。
私が高岡に帰ると、そこには
万葉集(巻十七-3987)と二上山の大伴家持像 | 「二上山・夕やけ 谷内正遠作」(木版画) |
高校3年の冬、卒業式もそこそこに家に飛んで帰り、炬燵にあたって(高岡の方言)電話を待っていた。そこに、隣の家のおばさんから「有ちゃん、電話やよ」と声がかかり(まだ家に電話がなかった)、また飛んで行って受話器をつかむと、東京の人に嫁いでいた姉が、「あんたの受験番号言ってみられ」、手にしっかり握りしめた受験票の番号を言うと、「そんなら、受かっとる」と。
18才で(今は死語になっている)裏日本から、表日本へと東京生活が始まった。高岡市
父、母、兄が教師で、自然と自分も先生かなと、一方では海外で働いてみたいと、「教師」と「海外」の2つが心に棲みついていた私は、迷わず教職課程を取り、BEA(Business English Association:商業英語研究会)のサークルに入った。
ところが、ある日
それから41年後大学のキャンパスに戻った。あと1科目と教育実習だけのはずだったが、41年経つと科目数も増え、60才を過ぎた
教育実習での授業(2015年11月) | 氷見高校生徒からの寄せ書き |
2週間の実習が終わるころには、校長先生から「先生方にも話をして頂けますか」、生徒のみんなからは、「色紙と写真」を贈られ、無事「青春時代の忘れ物」―― 教員資格を GET できました。
兄の息子も教師になり、父、兄、甥が三代続けて私の母校 富山県立高岡高校の先生という教師一家で、一人サラリーマンになった私は、もう一つの「海外」はなんとか実現でき、ドイツで14年、北京で2年の駐在を経験し、「以心伝心」「暗黙の了解」は通じず、「沈黙は決して金ではない」ことを実感。
(M&A 交渉終了後の真夜中の祝杯 2005年 パリで) |
ドイツ時代の戦友・畏友 弁護士DR.ミラーと
忘れ物は拾えたので、キャンパス戻りのついでに、駐在時代から気になっていた、「なぜ日本企業には優秀な外国人材が来ないのか」という疑問を明らかにすべく、格好よく言えば、実務と学問の融合を目指して大学院入試に TRY。2度目の挑戦で滑り込み、国際マーケティング(異文化マネジメント)のゼミで厳しくも楽しい2年間。
大学院終了時 ゼミの仲間と(2018年3月) |
日本企業は、ヒト、モノ、カネ、技術、情報の経営資源の中でも、ヒトの面で遅れている。外国人材にとってはガラスの天井〈日本や大陸を跨いでの異動がない、地域本社のトップ、ましてや日本本社の役員への道はない〉が立ちはだかり、採用、育成、評価、配置、報酬などの人材マネジメント、海外現法への権限の委譲、外国人材の登用の遅れで、優秀な外国人材は日本企業には来ないし、来ても長続きしない(もちろん変わりつつはあるがまだまだと言える)。
今、ジェトロのパートナーという身分で日本の中小企業の海外(欧州)進出を支援しているが、これもまた楽しい。
高岡市荻布学生寮のOB会でDF会員の盤若さんからDF入会のお誘いを頂き、今、授業支援の会で「青春時代の忘れ物」の実地経験が出来ている。5年目に入っているが、支援の会の目的である「①自ら考え発信し伝えていく力の重要性、②人生如何に有意義なものとすべきか、③外国の歴史、文化等についての理解を深め、敬意を払うことの必要性」のもと、高校生を中心に「飛翔 大いなる丹頂の如く~世界で働く異文化と出会う」「多様性を考える」「リーダーシップを考える」といったテーマで授業をし、時折アカデミー本部から紹介を頂いた大学では、「日本企業における多国籍人材の活用について」等の話をしている。生徒のみんなに「振り返りシート」を書いてもらい、評価と感想を読み、反省し、新しいエネルギーをもらう。
富山国際大学付属高校での出前授業(2017年8月) |
授業の会の皆さんは本当に活き活きとされている。授業の資料を拝見すると人生の知見、経験が詰まっており、授業の後の生徒のみんなからの質問への回答も諭すように丁寧に書いておられる。普通はなかなか言ってもらえない、聞けないメッセージが散りばめられている。
この5月に既に廃校となった高岡の二上小学校(今は移転統合し、万葉小学校)のクラス会を35年振りにやるという。今度は、少年時代の忘れ物を何か拾えるだろうか。
かわさき ゆうじ 授業支援の会(1089)
JETRO新輸出大国パートナー 元富士フイルム