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一般社団法人 ディレクトフォース

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DFの研鑽支援活動

2018年4月8日

見出し定期例会(総会・講演・交流会)

 

見出し 勉強会の概要(2018年)

2018年4月8日 更新

目 次

開催日 タイトル 講師
4月3日(火) 「神と人はどのように関わってきたか」第6回 秋山 哲氏
3月7日(水) 「神と人はどのように関わってきたか」第5回 秋山 哲氏
2月23日(金) 「仏法探訪パート2 第18講」 茶野浄蓮氏
2月22日(木) 第10回DF関西勉強会・交流会 福田 武氏
2月9日(金) 「神と人はどのように関わってきたか」第4回 秋山 哲氏
1月11日(木) 「神と人はどのように関わってきたか」第3回 秋山 哲氏

2018年04月8日(掲載)

「神と人はどのように関わってきたか」第6回

一神教に関する勉強会「神と人間はどのように関わってきたか」の第6回が以下のように行われました。

  • 開催日時:4月3日(火)14:00から16:00まで
  • 開催場所:DF共有会議室
  • 講師:秋山哲氏(元毎日新聞社常務、元日本イスラエル親善協会会長、DF会員)
  • 参加人員:20人

当日の内容(概要)は以下のとおりです。
(なお、この概要は秋山講師ご自身がまとめられたものです)

◇ ◇ ◇

講師冒頭に、最近出た『バテレンの世紀』という書物に触れ、キリスト教の日本伝来初期における日本人信徒の信仰について述べました。古文書を見ると、一神教の基本理解がしっかりしていたことが分かるのです。別の書物は、長年の「隠れキリシタン」時代には信仰があいまいになっていったことを論証していますが、それはやむを得ないことだったでしょう。

そのあと、前回、話し残した「悪魔とは何か」を取り上げました。神に敵対するサタン、悪魔ということがキリスト教世界でも言われますが、そのように考えるのは、万物を神が創造したという基本からずれます。善と悪の対立という二元論はゾロアスター教、マニ教の考え方です。キリスト教の初期時代、至高神と、悪も造り出した下位の創造神という議論がありましたが、これは異端として排除されています。

悪は、神が人間に与える「試練」と考えるべきです。旧約聖書のヨブ記(後刻詳しく取り上げる)には、神の前での天使会議に悪魔も出席して、ヨブを懲らしめる提案を行い、神がその提案を認める場面があります。新約聖書には、イエス・キリストが宣教を開始する前に、荒野で悪魔の誘惑を受けたことが記されていますが、聖書は「悪魔から誘惑を受けるために、霊に導かれて荒野へ行かれた」と書いています。神の霊が、誘惑を受けさせるためのテスト会場へイエスを導かれたのです。クルアーンは、悪魔もアッラーの許しなしに人に害を与えることはできない、と書いています。神は、人間の信仰の状況を調べるために、時により災いや悪を人間世界に送りこまれるのです。

第6回のメーンテーマは「神と論争した人たち」です。神は絶対服従を求めますが、人と対話、交渉もされる。例えば、神がソドムとゴモラという罪悪の町を滅ぼすと宣言したとき、信仰の人アブラハムは神と交渉します。そこに「正しい人」が50人いても滅ぼすのですか、と神に問いかける。50人いれば町を赦す、と神が答えると、40人ではどうか、30人ではどうか、20人では、10人では、と粘り強く神に食い下がるのです。神は「10人いたら滅ぼさない」という趣旨の回答をしますが、翌日、ソドムとゴモラは絶滅します。ただ悪事に染まっていなかったアブラハムの甥一家4人は事前に神によって町の外にだされて救われます。正しい人が10人はいなかったからこの町は滅ぼされたのでしょう。しかし、アブラハムの主張を認め、正しい人は救い出されたのです。

出エジプトの立役者であるモーセは、2回神を説得します。1回目は、イスラエル人が金の子牛を作って礼拝した時です。神がイスラエル民族を滅ぼすと言われたのに対して、口下手と言っていたモーセが神に諄々と論旨を展開して、思いとどまるように説得をします。神は、計画を思いとどまります。

2回目は、やはりイスラエル民族がシナイ半島を彷徨しているとき、敵は強大で攻めることはできない、と斥候が報告するのを聞いて、エジプトへ帰ろうと騒ぐ民衆に対して神が怒った場面。モーセは神に赦しを請い、再度神を説得します。神はモーセの説得を受け入れます。しかし、この時神は完全に許したのではなかった。エジプトを出たときのイスラエル民族は全員、シナイ彷徨40年の間に死に絶えていました。たびたび神に反抗した罪を問われたのです。目的地カナンに入ったのはその子供たちの世代だったのです。いわば執行猶予でした。

ヨナという預言者は神に抵抗したので有名です。神は彼に、罪深い町ニネべ(現在のイラクのモスル)に行くように命じます。この神の指示を逃れるためにヨナは舟で逃亡するのですが、海が荒れ、海に落とされます。彼は、巨魚に呑み込まれてニネべに運ばれます。神は彼にニネべが滅びると預言するように命じます。ニネべの住民はこの預言を聞いて反省して行動を改めます。そこで神はニネべを滅ぼすことをやめます。ヨナは、自分の預言が実現しなかったことを怒ります。ニネべは異邦人の町ですが、神は、悪を悔いるならば災いを下さない、という基本方針をヨナに説きます。

先に触れた旧約聖書のヨブ記は、戯曲のように見事な文学作品ですが、サタンに打たれて全財産、全家族を失い、自分も病苦にさいなまされるヨブと、彼を慰めにきた4人の男の長い対話です。ヨブは、自分がなぜこのように苦しむのか、その理由を神に問いたい、論じたい、と言い続ける。友人たちは、災難が来るには理由がある、と勧善懲悪論を展開するのですが、最後に神が登場して、天地万物を創造したのが神、万物を動かしているのも神だと詳細な説明をして、人間の浅い知識で神を論じることを叱る。

これら神と対話し、論じた人たちのケースをみて分かることは、神は信仰深い人の願いや主張を聞かれる、しかし、神が決断しておられることの基本を変えることはない、ということです。
では、神との対話は、実際に行えるのか。実際に神と対話できる人がないとは言いませんが、一般的には祈りによって対話が成り立ちます。聖書を十分に読んでいるならば、祈るうちに、聖書の中の必要な箇所が答えとして浮かび上がってきます。それが神との対話だと思います。

祈りについて知っておかなければならないことは、祈るとき、末尾に「主の御名によって」という言葉を用いることの意味です。これは、祈りの発信人が主自身であることを意味します。社員が社長名で手紙を書くのと同じことで、祈っているのは自分だが、その祈りは神が認める内容だ、という趣旨です。自分勝手な祈りに意味はありません。祈りも、その答えも、聖書を読みこむことから導かれるのです。

( 秋山哲 記)

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2018年3月30日 (掲載)

第10回DF関西勉強会・交流会

去る2月22日(木)15:00〜19:00パソナグループビルにて第10回DF関西勉強会・交流会を開催しました。

講師は日本ソムリエ協会公認ワインエキスパートの福田武氏(略歴は後述)をお迎えし、テーマは『ワインの歴史的考察〜イタリア・フランス・日本〜』と題し、約90分間にわたりとても素晴らしいお話s(ワインの歴史とそれぞれの国との関係を聞いていると一瞬、世界史・日本史の勉強をしているのかなと錯覚するほど)で、各国・各時代の歴史とワインの歴史について詳細に解説していただいた。

すべて網羅的に記載できない程中味の濃い内容のため以下、事務局の独断と偏見でその抜粋を報告します。

1.薬師如来と葡萄

  • 昭和30年代の長野県で発掘された縄文遺跡で、土器の底から葡萄の種がたくさん見つかった(縄文時代の人も野葡萄を醗酵させて飲んでいたのかなと推測できる。右図はその想像図)。
  • 奈良の法隆寺の回廊の柱は下の方が丸みを帯びている―エンタシスという形でドリヤ式(古代ギリシャ建築の柱の様式の一。先細りの太い円柱と針形の簡素な柱頭をもつこと、礎盤のないことなどが特徴)の影響があると言われている。ギリシャというワインの国がどこで仏教とつながるのか。‥‥ その証明と推測される事実は「薬師寺の薬師如来の台座に葡萄の唐草が彫ってある」。この薬師如来は天武天皇の皇后(後の持統天皇)が病気ばかりで苦しんでいるので688年頃建立したといわれている。
  • 718年に、行基が山梨県勝沼に大善寺を造った。そのお寺の薬師如来(写真右)は左手に葡萄の房を持っているからそれは不思議。それにあの辺りは甲州葡萄の大産地。甲州葡萄だけがヨーロッパに起源をもつヨーロッパ系の葡萄品種である。
  • さらに時代が下がると、東大寺を造った聖武天皇は、目わずらいばかりするから、妻の光明皇后が新薬師寺を建立した。自分の大切な人の病気を治すためみんな薬師如来をつくる。そしてそこに葡萄がある。

2.イタリアとフランス

  • ギリシャ、イタリア、フランスと行く先々でワインを飲んで来た。イタリアとフランスが面白かった。イタリアはやはりトスカーナ。フィレンツェにはルネッサンス文化が、いっぱい詰まっている。
  • ルネッサンス文化は商人が作った文化、宗教臭いところよりも人間臭いところでルネッサンスが起こったのだと思う。そして商人は毎日おいしいものや美しいものを欲しがる。だからよく文化も発達し、ワインも発達した。
  • 1533年イタリアのメディシス家のカトリーヌ・ド・メディシスがフランスの王様、アンリ2世に14歳で嫁ぐ。後に子供10人産む。嫁ぐ時、イタリアから料理人や、お菓子の職人、靴職人など約1000人連れて行き、その結果イタリアの文化がフランスに大きな影響を与えたと言われている。食文化でもナイフとフォークを使用するようになり、料理もどんどん変化し、ワインも広がっていった。
  • 1600年にもメディシス家からマリー・ド・メディシスがアンリ4世に嫁ぐ。ルイ13世を生み、さらにその子がルイ14世。だからフランス料理やフランスワインのルーツはイタリアにある。

3.ワインと健康

  • 1991年11月、リオンのセルジュ・ルノー教授による「フレンチ・パラドックス(赤ワインが健康に良いとする説)」なる報告は、ただでさえ健康に敏感なアメリカ人の間にあっという間に広がり、ワインショップから次々に赤ワインが消えて行ったと言う。”美味しくて健康にいい“というカリフォルニアワインは、その後、高品質でフランスワインと同価格帯の高級化路線をたどり、結果としてこだわりや個性を持った小規模なブティックワイナリーを誕生させてきた。その後この現象は日本にも波及し赤ワインブームをもたらした。

4.ワイン文化と日本文化の絡み合い(マリアージュ)

  • マリアージュとはフランス語で結婚と言う意味で、ワインと料理の交わりのこと。このワインにどんな料理が合うかとか考えるようになって世界が広がる。
  • 例えば夏には冷やした白ワインと冷奴をマリアージュする。冷奴にはオリーブオイルをかけてレモンをキュッと絞って、お塩を少しだけ削る。するとお豆腐のうまみがどれだけ美味しいか。お醤油をたっぷりかけてしまうとお豆腐本来の味が消されてしまう。
  • 和食とワインのマリアージュに欠かせないものはオリーブオイル。
  • カルパッチョにもオリーブオイルが欠かせない。スーパーで刺身の5種盛買ってきて、丸いお皿にニンニクをギュッと塗ってオリーブオイル振って、その上に刺身を盛る。そこでもう一度オリーブオイルかけてパルミジャーノ・レッジャーノというイタリアのチーズの粉をかける。その上に薄くスライスしたタマネギをちりばめ、レモンあるいはポン酢をサッとかけてお箸で食べるとワインと物凄く合う。
  • オリーブオイルは和食とワインを介在してくれる。

◇ ◇ ◇

// 講師略歴 福田 武 氏 //

日本ソムリエ協会公認ワインエキスパート

  • 1940年:大阪市生まれ
  • 1963年:京都市立美術大学(現京都芸術大学)彫刻科卒業
  • 1969年(株)福田武環境デザイン研究所設立、環境デザイナーとして幅広い分野で活躍
  • 1993〜1995年:大阪市姉妹港文化交流センター(ふれあい港館・大阪ワインミュージアム)の企画・デザインプロデューサー、同館ワインスクール「エコール・ド・ヴァン」校長
  • 2004年「SUPER DINIGNG A&W ART&WINE」をオープン

◇ ◇ ◇

勉強会後、恒例の懇親会はワインの講話の後でもあり最高に盛り上がったうえ、講師の福田さんは日本酒にも造詣が深く引続き日本酒談義に変わり参加者一同しばし時を忘れて楽しいひと時を過ごすことができた。

(文責:DF関西事務局:谷口擴朗)

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2018年3月24日(掲載)

「仏法探訪パート2 第18講」

講師2月23日(金)13:00から、日本ビル7FのDF共用会議室で、13名の受講者を集めて茶野浄蓮講師による「仏法探訪パート2 第18講」が行われました。

「死とは存在するエネルギーがなくなることです。煩悩とは存在するエネルギーが高い若い時に出てくるもので、エネルギーが薄らいでくる老年期にどのように生きるかが大切です。DFのメンバーは執着心が強く不幸な方向に行き勝ちに思えます。消え入る前の生き方を考えて欲しいです」と始まりました。

ある会員から「茶野さんの講話を聞いていると仏教が嫌いになってくる」と言われ、慎重に言葉を選ぶ必要性を感じました。

前回に続き般若心経の後半を話しますが、まず般若心経に関わりの強い密教について話します。日本では空海の真言密教という形で高野山に残っています。密教は仏教ではないがすごい教えであって、般若心経は密教のほんの一部であると考えています。

前回成田山新勝寺の初詣護摩供養の無意味さを述べましたが、実は角度を変えると意味が変わります。真言宗の不動護摩行は願い事を叶えるために行っています。しかし、これは空海の後に日本で登場したもので、本来は大日経に護摩行は願いを叶えるために行ってはいけないと記されているのです。行っている坊主、民衆は信じています。このような話をすると仏教が嫌いになるかもしれませんが、単に坊さんの言うことを丸ごと信じるのではなく、新しい仏教の姿が見えてくると思います。

釈迦から1,000年も後に出てきた密教は舎利子の記載方法を見ても仏教を下に見ていることが理解できます。密教は新興宗教のようなもので8僧によって作られました。多くの経があるが誰が創ったものかは不明です。密教は秘密経、奥義の意味です。

空海が恵果から中国密教を日本に広めるために全ての教えを託されて3年間で帰国したこと。

密教祈祷の4つの目的、息災、増益、敬愛、延命を説明、特別に調布(ちょうぶく、呪い殺すこと)があること、不動明王が出てきた経緯、インドでは77日、中国に渡ると3回忌、日本に渡ると33回忌まで延ばしたこと、南無阿弥陀仏は阿弥陀仏を帰依しますという意味に取るが、永遠の命に手を合わせていますの意味であること、無量の命に気付かせないのが煩悩で煩悩をなくすと自分の中に存在する永遠の命(魂)が見えてくること、釈迦の言う覚とは自分の永遠の命(寿)に気付くこと、法事の意味は亡くなった人を思う心(魂)と亡くなった人の心が共鳴すること、等を話して時間となりました。

 次回は、般若心経とは何かの続きをお話する予定です。

◇ ◇ ◇

次回予定:3月23日(金)13:00 – 15:00 7階DF共用会議室 参加費:1,000円

次々回予定:4月19日(木)同上

 

 

(保坂洋 記)

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2018年03月14日(掲載)

「神と人はどのように関わってきたか」第5回

一神教に関する勉強会「神と人間はどのように関わってきたか」の第5回が以下のように行われました。

  • 開催日時:3月7日(水)14:00から16:00まで
  • 開催場所:DF共有会議室
  • 講師:秋山哲氏(元毎日新聞社常務、元日本イスラエル親善協会会長、DF会員)
  • 参加人員:21人

当日の内容(概要)は以下のとおりです。
(なお、この概要は秋山講師ご自身がまとめられたものです)

◇ ◇ ◇

講師今回は、神の与える罰について話します。前回、神が主権を持つ、ということを説明しましたが、主権者である神は、神の指示に違反したものを厳しく罰するのです。

出エジプトの指導者であり、モーセ五書によって神の戒律を伝え、「神の人」とも呼ばれるモーセも罰せられました。イスラエル人を率いてシナイの原野を彷徨していたとき、水に渇く民のために、岩から水を出す、という奇蹟を行いますが、その方法が神の指示の通りではなかった、という罪が問われるのです。

神は、「岩に向かって水を出せと命じよ」と指示したのですが、モーセは杖で岩を二度たたいた。しかも、神が水を与えてくださる、というのではなく、自分が民のために水を出してやる、という態度をとった。これが「神に背いた」と宣告される原因となりました。

モーセは、神に命じられて山に登り、そこで死にます。出エジプトから40年、目的のカナンを見渡すことは許されたが、そこに入ることは神が許さなかったのです。

モーセだけではありません。出エジプトに加わったイスラエル人全体も罰せられます。エジプトを出たときとカナンに入る直前の2回、人口調査が行われましたがともに20歳以上の男子が60万人余です。ところが1回目の調査の時にいた20歳以上の男たちは、2回目の調査では2人しか生き残っていませんでした。シナイ彷徨40年の間、イスラエル人はたびたび神に反抗、反逆したので、神は「従わない者はだれ一人カナンの地をみることはできない」と宣言したからです。カナンに入ることができたのは、エジプトを出たとき20歳以下であった人たちです。神の従い通した2人を除いて、イスラエル人の大集団はすっかり人が入れ替わったのです。シナイの40年は神がイスラエル人を訓練した40年といいますが、神に従わない人がいなくなるための40年といった方がよいかもしれません。

安息日に薪を集めた男は石投げ刑で殺されます。神の前に捧げる香炉の火が神の指示と違っていた、という理由で祭司の子2人が神の火に打たれて死にます。モーセに反逆しようとした祭司たちも地割れと神の火で殺されます。些細なことも、大きなことも、神の命令、指示に反する行為には厳しい処罰がのぞみます。これは新約の時代に入っても同じことです。新約には、収入を偽って教会への献金を少なくした夫婦が死んだという記録があります。旧約聖書も新約聖書書も「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、神を愛しなさい」という神の言葉を人間と神の関係の基本に置くからです。

ここから、モーセが申命記の中で説く「祝福と呪いの神学」が生まれます。「神の声に聞き従う」場合には、さまざまな神の祝福を受ける、「聞き従わない」ならば、さまざまな「呪い」、不幸が起こって来る。イスラエルの歴史を見ると、神に反抗し、異教信仰、偶像崇拝になびいた時代がたびたびです。イスラエルが不幸と苦難の歴史を歩むのはその罰を受けたためということができます。神による懲罰の歴史です。

神は、多神教信仰、偶像崇拝を禁じます。そのような信仰を持つ民を滅ぼす戦争を神は命じます。旧約聖書にはたくさんの例があります。クルアーンも、異教徒に対して徹底的に戦え、と書いています。

その点では、聖書もクルアーンも違いがありません。イスラムは異教徒を殺す宗教だ、といった説明をする書物が最近も出版されていますが、それはイスラムだけの特徴ではありません。しかし、クルアーンは、ユダヤ教、キリスト教とイスラムを、神の啓示を受けた「啓典の民」としていて、多神教に対する戦いとは違った扱いをしています。「啓典の民」には「人頭税」を支払うまで戦う、というのが原則です。「啓典の民」同士の論争は、「最後の審判」のときに神が結論を出す、判決をくだす、とクルアーンは言っています。

 

( 秋山哲 記)

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2018年03月01日(掲載)

「神と人はどのように関わってきたか」第4回

講師一神教に関する勉強会「神と人間はどのように関わってきたか」の第4回が以下のように行われました。

  • 開催日時:2月9日(金)14:00から16:00まで
  • 開催場所:DF共有会議室
  • 講師:秋山哲氏(元毎日新聞社常務、元日本イスラエル親善協会会長、DF会員)
  • 参加人員:16人

当日の内容(概要)は以下のとおりです。
(なお、この概要は秋山講師ご自身がまとめられたものです)

◇ ◇ ◇

第3回の勉強会は、神と人間の契約関係について述べ、神が人間に求める戒律、掟を説明しました。今回の前半は、その延長線上で、経済に関する規則と、神の「主権」について説明します。後半は、「奇蹟」についての説明です。

モーセに由来する旧約聖書のレビ記は、戒律を詳しく述べますが、その中に経済についての考え方が出てきます。それは、「安息年」「ヨベルの年」という考え方です。

安息年は、6年間種を蒔き、収穫した後、7年目は土地を全く休ませる、というものです。安息年を7回数えた後の50年目がヨベルの年で、この年には、それまでに売買した土地を元の所有者に返却することになっています。土地を売った人には買い戻す権利があるのです。同胞を奴隷とすることは認められず、雇っている人もヨベルの年には家族のもとに帰らせます。

神は一貫していうのです。「土地は神のもの、イスラエル人は神のもの」と。人は神の所有する土地に寄留しているにすぎないのです。

貧しくなった人を援助しなければならない、収穫する時には落穂ひろいをする人の分を残さなければならい、という困窮者対策も書いてあります。イスラムでは金利が禁止されていることが知られていますが、この考え方は旧約聖書の貧困者対策に起源があり、それをクルアーンが受け継いでいるのです。貧困を防ぐために、イスラムでは喜捨(ザカード)が大切にされます。六信五行の中に喜捨は位置づけられで、クルアーンはこれでもか、これでもかというほどに、信徒に喜捨を勧めています。ユダヤ教、キリスト教でそれに対応するのは「什一献金」で、収入の10分の1を神に捧げることになっています。

このように神は経済に関しても、人間活動に深く関与するのですが、それは「神の主権」にかかわる問題です。

新旧約聖書もクルアーンも、神が世界のすべての運営を行う権能を持っているとしています。王権神授説ということが言われますが、モーセであれダビデであれ、イスラエルの指導者は神から一方的に任命されています。ヨーロッパの王様が戴冠式で聖職者から王冠を授かるというのは、主権者は神であり、王はその代理人という理解からでていることです。

以下は奇蹟についてです。

旧約、新約聖書は奇蹟が満載です。例えば、モーセに率いられてイスラエル人がエジプトを脱出する物語は、奇蹟の連続です。エジプトをさまざまな災難が襲い、紅海が二つに割れる、といった出来事です。

時代が下がって預言者の時代になると、預言者による死人の復活があります。また、新約聖書はイエスの起こした奇蹟をたくさん記載していますが、イエスが死人3人を蘇らせたことを書いています。イエスは、目の見えない人や病人を癒します。

これらの記事を読んでわかることは以下です。

奇蹟は、「神が生きていること」を人々に知らせるために行われる。

奇蹟を受ける人が神を無条件に信じることが奇蹟が生じる条件である。

奇蹟は、神であるイエスや有力な預言者だけが行えるのではない。イエスの弟子も、現在の信徒も、聖霊を受けて神を宿すならば、奇蹟は行える。

イエスを神とは認めないクルアーンは、イエスの生涯を奇蹟であると記しています。神の息吹によってマリヤにイエスが宿った、イエスは十字架刑によって死んだのではなく、神が天に引き上げた、というのがクルアーンの記すイエス像です。

◇ ◇ ◇

次回予定

  • 開催日時:3月7日(水)14:00から16:00
  • 開催墓所:DF共有会議室

 

( 秋山哲 記)

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2018年01月18日(掲載)

「神と人はどのように関わってきたか」第3回

講師昨年末から始まった勉強会「神と人間はどのように関わってきたのか」の第3回が以下のように行われました。

  • 開催日時:1月11日(木)14:00から16:00まで
  • 開催場所:DF共有会議室
  • 講師:秋山哲氏(元毎日新聞社常務、元日本イスラエル親善協会会長、DF会員)
  • 参加人員:12人

当日の内容(概要)は以下のとおりです。
(なお、この概要は秋山講師ご自身がまとめられたものです)

◇ ◇ ◇

12月5日に開催した第2回の勉強会で、聖書からノアとアブラハムの行動を引用して、信仰とはどういうことか、を話しました。そのノアとアブラハムの物語のもう一つのポイントは神と人間の契約というテーマです。ユダヤ教、キリスト教、イスラムという三つの一神教の大きな特色は、神と人間が契約関係に入る、という考え方です。

聖書に現れる最初の神と人間の契約は、ノア契約と言われるものです。神は大洪水の後、今後は洪水で人類を滅ぼすようなことはしない、という契約をノアに対して提案します。この契約は神が約束するだけの片務契約のように見えますが、ノアは祭壇を築き、いけにえを捧げて神に感謝をします。

神と人間が契約する、というのは日本人の感覚では理解がむずかしいかもしれません。宗教とは別の世界でも、国家の起源としてルソーが展開した「社会契約」という理論があるのは、聖書がいっている神と人間の契約に起因していると考えることもできます。

アブラハムに対する神の契約は、前回説明していますが、カナンの土地を与える、ということが大きなポイントです。

このアブラハム契約と同じ内容を、神は、アブラハムの子イサクとも、孫ヤコブとも結びます。この過程で、神はアブラハムの信仰を守ることをイサク、ヤコブに求め、人間の側に神に従う、神を信じる、という義務が生じます。神を信じるという義務を守らなければ、神からの懲罰がある、という双務契約になるのです。

神との契約に関して重要な役割を果たすのはモーセです。時代が下って、エジプトで奴隷的状態になっていたイスラエル人を、神の命令によってモーセが救い出しますが、モーセはシナイ山で神から十戎を与えられます。人類が守るべき掟です。十戎は大原則を掲げているだけですが、それに続いて、神は詳細な戒律、つまり刑法、民法から宗教規則、社会慣習にかかわる詳細な掟をモーセを通じてイスラエル民族に示す。旧約聖書の出エジプト記とレビ記に、これらの戒律が延々と記載されています。これらを命じられたとおりに実行することが神に従うことであり、戒律を守らない場合には厳しい懲罰が神から送りこまれることになります。ユダヤ教超正統派はこれら規則を完全に守ろうとする立場に立っています。

よく知られている食事に関する規則もこれら戒律の一部ですが、貧困者に対する配慮など、社会政策的規則もしっかりと記載されています。また男女関係に関しても詳細な規定があります。これら規則の考え方はイスラムのクルアーン(コーラン)にも引き継がれているものがたくさんあります。イスラムも、神の指示を人間が守る、ということを基本にしていて、神の指示を守らないものには厳しい懲罰が来ることを前提にしています。

一つの疑問は、現在から見て3000年以上も昔の人モーセに神が示したこれらの詳細な規定がどうして現代にまで伝えられているのか、ということでしょう。実は、モーセという人は記録をしっかりと残した人だったのです。例えば、イスラエル民族はモーセに率いられてエジプトを脱出し、40年間シナイ半島の中をさまようのですが、いつどこを発って、いつどこに着いた、という記録が旧約聖書の民数記にしっかりの記録されています。シナイ半島で二回人口調査も実施していて、12氏族といわれるイスラエル人の氏族ごとの人口がこと細かく、民数記に記載されています。セム族は早い段階から文字を使っていましたから、モーセは書き残すことができたのです。神から与えられた戒律に関しても、彼は記録を残し、7年ごとに集会で読み聞かせるように言い残しています。長く続いた王国の時代には、神に従わない背信の王もたくさんいましたが、モーセが書き残した文書によって信仰復興が何度か行われ、神と人間の契約が、旧約聖書という形で現在に受け継がれているのです。

次回第4回の小勉強会は2月9日(金)の14:00から16:00まで、DFの共有会議室で開きます。第3回に話し切れていない経済に関する戒律の説明をしたあと、奇蹟について話す予定です。

◇ ◇ ◇

次回予定
・開催日時:2月9日(金)14:00から16:00まで
・開催場所:DF共有会議室

 

( 秋山哲 記)

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